笑う伴奏生活

ハンブルクから愉快な共演者達を御紹介します。

極小ハウスコンサート

 1ヶ月経った。あれ以来グランドピアノを弾いていない。家に電子ピアノが有って良かった…。
 あれから演奏会も無いし、学校でレッスンも練習も出来ないので、愉快な共演者の話題が滞って時差式日記がリアルタイムに追いついてしまいました。


 3月16日、或るお医者様のお宅でのハウスコンサート。3日前から歌劇場は閉まり、学校も今日から入れなくなった。ハウスコンサートも中止になるのではないかと思ったが、前日にお医者様から、「極々少ない聴衆ですがお願いします。」とメールを頂いた。
 歌うのはテレビスター(テノール・韓国)。予定ではソプラノのネガティヴGちゃんも歌う筈だったのだが、週が明けると飛行機が飛ばなくなるので日曜日に故郷リトアニアに帰った。
 行ってみるとお客様は招待者のお医者様とそのガールフレンド(明らかにお医者様より遥か〜に若い。リハーサル中にテレビスターと一緒に、「あれは奥様だろうか…それとも…」と頭をひねっていたが、演奏直前にお医者様から、「僕の彼女!」と紹介された。素晴らしい人生。テレビスターも表情を変えなかったが内心、「謎が解けたッ!」と思ったに違いない。)だけ。演奏者2人・聴衆2人で1曲毎に彼女様が、「素敵!綺麗な声ね!韓国では声楽は盛んなの?」といった具合に感想を述べ会話が進行しては次の曲、という正にアットホームな演奏会になった。
 50分位歌って弾いて喋った後は4人で飲みながら更に(演奏時間よりも長く)喋って、「タクシーを呼びましょうか?」とのお医者様の申し出に、「食事も出して頂けるんぢゃあないんですかッ!?」と詰め寄るわけにもいかず夏にまた!と退散。テレビスターは彼女と喧嘩したそうで、「これから何か食べてその後ホテルを探さなきゃ。」と言っていました。お互い健康に気を付けて!また近いうちに!と別れて、外出制限前の最後の演奏会の夜は終わりました。


 あれから1ヶ月、誰かの演奏をライヴで聴く事も、誰かの為に演奏する事もなく過ぎた。演奏会の予定が暫くは無いので好きな時に好きな曲を弾けて音楽関係のストレスは意外に少ないが、生ビールが飲みたい。旅行に行きたい。道行く人と他愛もない会話をしたい。
 早く日常が戻りますように…。

閉鎖前日の歌劇場にて。

 凡そ1ヶ月前の事。
 ホセ・クーラを聴きたくて3月12日の州立歌劇場の「オテロ」の切符を買ってあったが、新型コロナウィルス感染拡大の為予定されていた演奏会が次々と中止され始めていた。12日の公演も無くなるのではないかと毎日歌劇場のサイトを確認しながら、それでもやっぱりハラハラしながら会場に向かった。
 30分位早めに会場に着くとガラス越しに既に多くの観客が入場しているのがみえた。どうやら無事開催されるらしい。ほっ。
 偶然直ぐ前に2人の日本人がいて入口の貼り紙を見て騒いでいる。「明日から全部ナシってこと!?」
 …やっぱり。明日から4月末まで劇場閉鎖か。クーラが歌うのは今日と明日の予定だったので、明日のチケットを買った方には悪いが今日にして良かった、と思った。
 予約した時には殆どの席が埋まっていたのに会場には空席が目立った。6割入っているかどうか…。多くの人が直前にキャンセルしたらしいがそれも頷ける(この地点では1000人を超える行事の自粛が促されていた)。
 開演に先立ち劇場のスタッフが舞台上にて事態を説明した。難しい状況の中で開催を決めた出演者・スタッフそして来場した聴衆への感謝、指揮者の体調が悪化した為代役の指揮者が今朝になっての申し出を快諾してくれた事、合唱団員にも体調不良車がいて今日は少し人数が少ない事、濃厚接触を避ける為演出にも多少手を加えられた事が述べられ、「5月にまたお目にかかれますことを心から願っています!」と結ばれた。
 主要な歌手4人が揃って爽快な発声で素晴らしかった。クーラの音楽の人を惹きつける力は相変わらず大きかった。観客総立ちの中カーテンコールが何度も繰り返された。普段あまり歌劇場に足を運ばないくせにこれで暫くオペラは観られないのかとしんみりしてしまったりして…。
 翌日クーラが自身のインスタグラムに、「閉鎖前日のハンブルク歌劇場にて。忘れ難い1夜。」とのコメントと共にカーテンコール時の写真を掲載していた。その視点が私の席と近かったこともあって更にしんみりしてしまったりして…。


 あれから1ヶ月。州立歌劇場の来月からの再開は難しそうだ。

小荘厳ミサ曲

 自宅待機が始まって半月が経ち不安が募りますが、ブログくらいは楽しい文体で書きたいと思います。

 

 4年に1度の2月29日!ブレーメンからオランダ方面に少し向かった所に有る街オルデンブルクにてロッシーニの小荘厳ミサ曲を演奏して来ました。
 昨秋、まだ学生だった17年前(!)に卒業演奏会で共演したフルートのCから電話で、「主人の指揮するアマチュア合唱団の演奏会で弾いて欲しいの。」と依頼された。小荘厳ミサ曲といえば歌劇はどれもこれも同じに聞こえるロッシーニの、珍しく同じに聞こえないシリアスな曲(ミサ曲だから当然だが)で、4人の独唱・合唱・ピアノ及びハーモニウムという特殊な編成の為に書かれた演奏に1時間半を要する大作である。幾つかのアリアは単独で学生達と演奏したことがあるが全曲演奏の機会は殆ど無い。それにオルデンブルクといえば我が愛しのビールの郷イェーファーの近く。以前そこに数ヶ月滞在して現代オペラに出演したプリケツ(テノール・ドイツ)が、「そこら中の店でイェーファーが飲めて天国だった!」と言っていた。更に2月29日という日程が気に入ったッ!という訳であっさり承諾。
 ロッシーニのオペラアリアの伴奏部分は概してかなり簡単なので余裕をかましていたらいざ練習を始めたら予想より遥かに難しかった…。特に第1部と第2部に1曲ずつある合唱とのフーガが速いし休みはないし跳躍や転調は多いしヒイヒイ言いながら練習した。
 Cとは数年前に1度学校で一瞬言葉を交わした以外は本当に久々の再会だったが駅に迎えに来てくれた彼女は以前のまま可愛くて面白かった。しかも、「全然変わってないわね!」と言ってくれた。あの頃よりも15キロ以上太ったのに…。
 声も外見も若々しい男声のソリスト2人は今後演奏活動を続けるべきか否か迷っているという。何故?と思ったら2人共還暦を過ぎていた…ドイツ人でも若く見える人っていっぱいいるのか…。女声2人は歌劇を中心に活動しているそうだが、美意識の高い人は歌劇でも宗教曲でも良いのだと納得。
 ハーモニウムは指揮をするMの師匠で職人気質の人。ライトの明るさにも神経を使い、時には指揮のM以上に速度へのこだわりを示した。
 演奏会では最初の1音を1拍早く始めてしまう大失態を演じた…他は1時間半ず〜っと楽しく弾いた。打ち上げでは愛しのイェーファーをザバザバ飲みながら男声歌手とビール談義をし、メゾソプラノ歌手とワイン談義をした。翌日はCが街を案内してくれ、礼拝を終えたMの運転で北海に面した小さな街グレーツィルに連れて行ってくれた。

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虹の橋!

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冬学期終わる。

 2月28日、ドアマン先生クラス学内演奏会。またよりによって冬学期最終日に…お陰で誰よりも春休み突入が遅くなった。来学期からジャイアン門下に移籍するJ(ドイツ)は日に日にストレスが募って行ったらしく、当日になって出演を取りやめた。


 伴奏員をしていると仏雑な師弟関係を目の当たりにする事も多く、かと言って口を出す事も出来ず悲しくなる時がある。度々学生から相談を受けることが有るが下手なドイツ語で公平・冷静かつ正直な意見を述べるのに頭を悩ます。大抵の場合は学生には感謝されるが稀に愚かな教授が学校の権力者に私をクビにしろと詰め寄る場合があるので慎重にならざるを得ない。尤もドアマン先生は全校良い人ランキング最上位なのでその心配は無いが。


 演奏会ではマイペースなH(ドイツ)がシューベルトの難曲「萎める花」を吹き切って成長を見せた。いつも演奏会で練習時の7割しか発揮出来ないM(トルコ)はやっとほぼ練習通りに吹いた(自作カデンツァの最後のトリルを聞き逃して後奏を入り遅れた…)。やっと各都市での入学試験を終えたJ(台湾)はマイナー過ぎてどこの入学試験でも吹かされなかったチュビンの作品を、「もう入試無〜い!」と晴れ晴れと吹いた。秋のミュンヘン国際音楽コンクールの参加を希望している小学生(韓国)はコンクールの課題曲を2曲。髪の芸術家(ウクライナ)のハチャトゥリアンは響の力強さが増して素晴らしい出来だったが最後だけちょっと数え間違えた。


 終演後は近場の他よりは安くてそんなに凄く不味くはないイタリア料理店で冬学期慰労会(要するに打ち上げ)。入店すると遥かに人数が多いはずのクラリネットのクラス{本来なら私も弾くべきなのだが先生達がのんびりしていて日程が重なったために同僚のS(モルドヴァ)が1人で弾くことになった}が先に打ち上がり始めていた。懐かしのクラリネットの卒業生も聴きに来ていたりして、ドアマン先生帰宅後もクラリネットの連中に合流して遅くまで飲みまくった。


 これにて学校は春休みに突入。この地点ではこんな春休みになるとは未だ思っていなかった…。

バレエダンサー先生10周年!

 バレエダンサー先生の腹話術学院での講習会が10周年記念を迎えましたッ!
 思えば第1回開講直前に深夜に自転車ですッ転んで(勿論ビール飲み過ぎ)右肩が動かなくなり、高音は上半身を右にスライドさせながら弾いたんでした…。以後暫くは問題無く毎年過ぎたのですが数年前からバレエダンサー先生がハンブルクに来るに当たって何故か何かが起こるようになりました。バーゼル空港への道中で車が故障したり予定の飛行機が当日キャンセルになったり(お陰で講師演奏会の合わせが30分しか出来なかったが意外と上手くいったので彼は、「来年は合わせ無しでやろうか!」と言われた)、また或る時は大風邪…。主催者の腹話術人形(ブラジル)も近年では、「今年は何事も無く到着しますように…。」と祈るのが恒例となりました。
 今年は予定通りにハンブルク着。ただ数週間前から咳が止まらないのが唯一の問題で、咳を我慢しながらの演奏会はきっと辛かったと思います。
 今年のプログラムはバッハのイ長調ソナタウェーバーソナタ(原曲はピアノ・ソナタ)の間にラヴェルメシアン・ニールセンの小品と無伴奏現代曲。丸髭先生の時のようにウェーバーの楽譜が中々手に入らなくて(サンタ先生が持って来てくれるのを忘れたりして)やっと手に入ったらメチャクチャ難しくて2週間喚きながら練習しました…。
 今年はドイツ人の受講生が1人もいないという珍しい年になりましたが個性的で積極的な参加者が何人かいて、バレエダンサー先生も相変わらず長い脚を活かしたダンスとライライパイパイ言う不思議な歌詞付きの歌声が冴えました。因みに日本人参加者もいませんでしたがバレエダンサー先生のレッスンは大変素晴らしくてお勧めです。参加希望の方は来年是非ハンブルクへ!

F先生のイヤな顔の謎

 2月18日、ドアマン先生クラスのJ(フルート・台湾)卒業演奏会。ドイツで続けて勉強する事を希望しており、各都市の入学試験を受験する合間を縫って準備した。演奏会の数日前に、「もう入試イヤ…。」と言ったのが気の毒だった。
 室内楽曲を多く取り入れた楽しいプログラムだったが1ヶ月前になってドアマン先生が時間が足りないからフェルトのソナタもやれって。ただでさえ独奏曲は難曲揃いなのによりによってあんな大曲を…。
 入試ストレスと大曲ストレスにも関わらず良く吹いたッ!2曲目のベームが終わった後舞台裏で、「狂ったプログラムだわ!ベームで十分難しいのに後でもっと難しいチュビンも吹かなきゃいけないの!」と言い残して3曲目のベリオを吹きに行った。
 ベリオが終わって彼女が言うには、「F先生がイヤな顔で見てたッ!」とのこと。すると袖で控えていたクラリネットのIがすかさず、「F先生はもともとイヤな顔なんだから気にすんな!」と慰めた。お見事。
 大曲フェルトは少し速過ぎたがギターやクラリネットとの曲も楽しく演奏して教授陣も揃って高い評価をした。要はF先生はもともとイヤな顔だっただけなのだ。私の他は殆ど台湾人だけの打ち上げにも押しかけ(今ウチの学校には台湾からの留学生の方が日本人よりも多いのです!)伊藤さんは沢山飲まなきゃダメですとビヤ樽の直ぐ隣に座らされました…。

東方からの挨拶

 2月16日、腹話術学院にてさあクーナを下ろしましょうさん(フルート・日本)と演奏会。友人の腹話術人形(同じくフルート・ブラジル)に物は試しとお願いしてみたら快く勤務先の学院のホールを貸してくれた。
 さあクーナを下ろしましょうさんは旧ユーゴスラヴィア作品の専門家。私も旧ユーゴ独奏曲を弾こうと思ったけど難しくて辞めたッ!生誕250年のベートーヴェンか会場に所縁のあるブラームスか迷いに迷い、美しく深いフォーレか明るく楽しいモンポウか迷いに迷って、結局第2番だけ遥か昔に弾いたものの第1番を相変わらず放って置いていたブラームスの2つの狂詩曲と、一昨年日本でヘタクソに弾いたモンポウにした。
 最近楽譜が良く見えない時がある。眼鏡が悪いのかまなこが悪いのか…眼鏡のせいである事を祈りつつクロアチアの作曲家ウーリックの臨時記号の多いフルート・ソナタの楽譜を拡大コピーして、コピー用紙の箱(ハンブルク音楽演劇大学所有)を勝手に使って台紙も作成したお陰で楽しく弾けましたッ。
 休憩中にお客様に飲ませ…いや飲んで頂こうとクロアチアボスニアの赤白のワインを多めに買い込み余った分は出演者がいっぱい飲みました。