笑う伴奏生活

ハンブルクから愉快な共演者達を御紹介します。

金昌国先生の想い出

 7月、フルートの金昌国先生が亡くなられた。不死身だと思っていたがそれは思い違いだった。

 高校に入学して最初に共演した楽器がフルートだった。金先生は既にかなりの無知だった私でも名前を知っている有名なフルーティストで、初めてのレッスンにちょっと緊張しながらくっついて行ったら、ラジオで聴いた綺麗な音のフルーティストは面白そうなおじさまだった。
 兎に角バイタリティに溢れ病気や怪我をものともせず我が道を突き進まれ、慕う生徒も反発する生徒も多かったが、私には個人的な想い出も幾つか有る。
 彼の生徒さんがライネッケの協奏曲を試験で演奏した時(試験当日に伴奏譜を忘れた…)金先生ご自身も数週間後に同じ曲のソリストとして演奏会を控えておられ、生徒さんのレッスンの後で私に、
「僕の練習にも2・3回付き合ってもらえんかねぇ?」
と訊かれ、勿論喜んで引き受けた。合わせは生徒達も聴講して一緒に先生の華やかな演奏を楽しんだ。
 2度合わせた後先生が仰った。
「何かお礼をしたいんだけど、どうすればいいかなぁ?」
私は即座に演奏会のチケットを下さい!と願い出た。御招待の葉書に名前を書く為に、
「ノブエさんはどんな字を書かはるの?」
と私に訊いた。野原の野にフルートです、と答えると…!
「ああ素晴らしい!どうしてピアノなんか弾いてるんだね!?」
…生徒一同爆笑。
「今からでも遅くない!フルートを始めなさい!」
…いや先生、遅いですよ(当時23歳)。


 右腕を骨折した時も包帯で吊って左手で指揮をされた。好きとか嫌いとか言う前に日本フルート会にとってものすごく大きな存在だった。金先生、お疲れ様でした。ゆっくりなさって下さい!