たま〜に審査員になる。
1番最初は中学校の学級対抗合唱コンクール。2回目は留学直前に或る街のアマチュアオーケストラの演奏会でのピアノ協奏曲の独奏者のオーディション。3回目がごく最近でまた他の或る街の演奏会の出演者の動画オーディション。なんだ。たったの3回か。学校では何故かいつもフルートとオーボエの審査もしてるけど…。
問題はコメントです。聴いていて思ったことを採点用紙に記入するのだがこれが中学生の時からちょっとふざけていて、
「担任の性格のせいかしみじみほのぼのとした感じが出ていて良かった。」
とか。この時は審査員氏名を書く必要がなかったので誰が書いたかは永遠の謎となったのでした。
さぁやっちまったのは◯◯市のソリストオーディションの時。この時は主催者側にどうしても受からせたい人がいたらしく圧力をかけられたがその人の演奏がダントツ最下位だったので毅然とした態度で却下した。が…
その時は採点用紙を参加者に見せるなんて知らなかったんだー!彼女に書いたのは、
「そりゃあんたの努力は認めるよ。だがしかし!もの凄く重いのだ。」
…………。
彼女がこのせいであまりショックを受けていないことを20年以上経った今も祈っています。逆にこの時は私が推薦した人は音楽大学出身ではありませんでしたがその後イギリスに留学してピアニストになったようです。
過去の経験を活かし先日の推薦オーディションではちゃ〜んとまともなコメントを書いたです。例えば、
「細部にまで理解・共感が感じられ意欲的です。いつもどこも頑張り過ぎ。重さ・軽さを鮮やかに弾き分けては?」
といった感じ。これならきっと読んでもショックは受けないでしょ?
このオーディションは、『未来の演奏家を応援する…』という趣旨で主催者からも、「ベテランではなくなるべく若い人を推薦していただきたいです。」と要望があり、30代の2人の参加者の演奏がとても良かったのだがやはり彼等は未来の演奏家ではなく既に立派な演奏家なので推薦しなかった。
5人推薦してくれと言われていて4人まではすんなり決められたが先述のベテランお2人を1人だけ選ぶのもちょっと不公平だし後の人は選んだ4人ほど興味深くなかったし演奏レベルも似たり寄ったりだったので、
「5人目の推薦を棄権させていただくことは出来ますか?」
と主催者に申し出た。他の審査員との合計点で5人出演者が選ばれるだろうからそんなに問題ないよねーと思った。思ってたら事務局からメール。
「4人に決定しました。」
⁇⁇⁇⁇
審査員1人だった…。
そんなに責任重大だったとは〜ッ!でもちゃんと真面目に聴いたしコメントだって公平に丁寧に書いたし後悔はしてないけどもう1人演奏の機会が有れば良かったかも…。でも選んだ4人なら良い演奏会になるはず!と自分に言い聞かせる。
4人の未来の演奏家は1人少なくなった分何分か多く演奏出来るから嬉しいであろう。選ばなかった人には恨まれるかも知れないがしょうがない。
これを機に我が酷いコメント例をもう1つ。友人Aさんと或る演奏会に行った。Aさんの友人のピアニストが出演する室内楽の演奏会だった。
司会を音楽学者のKさんが担当した。長くてまとまり無くて何を言いたいのか良く分からなかった。良くあることだがアンケート用紙が配られて聴衆は感想を自由に書くことが出来た。
基本的には私は演奏会について聴衆が好き勝手に批判するのは嫌だ。読んだ出演者が悲しい気持ちになるかも知れないから。でもこの時の司会には一言申し上げたかった。
演奏中に私はAさんとアンケート用紙を交換して読んだ。演奏中にするべきではなかった…。2人とも腹筋を使って笑いを堪えなければいけなかった。
Aさんが書いたのは…
「お話をされるなら事前にもう少しまとめてからお話しいただくことは出来なかったものだろうか。」
に始まり、中間は忘れたが締めは、
「演奏時間を上回り大変残念であった。」
というもの。正にその通りなのだが私は『演奏時間を上回り』がツボにハマり腹筋が鍛えられたが、隣のAさんもやはり体を海老型に折り曲げて笑いと格闘している。
私が書いたのはただ一言、
「K氏のお話は要りません。」
…だってホントに不要だったんだもの〜(涙)!
これらのことを考えると私も随分変わったものだと自分自身を顧みるのであります。