笑う伴奏生活

ハンブルクから愉快な共演者達を御紹介します。

2017年4月、ライプツィヒにて。

 チェロのHが亡くなって間も無く1年。4月30日に彼が演奏していたライプツィヒのゲヴァントハウスで追悼演奏会が行われ、私も2曲演奏させて頂いた。
 当初ブラームスの歌曲1曲の予定だったがシューマンピアノ五重奏曲を演奏する予定のピアニストの都合が合わず、そちらも御一緒することになった。
 演奏会の2週間前に盲腸で入院!1週間練習出来ず退院後もバリバリとは弾けないので非常に焦る。おまけにドレナージの痕から何やら流れ出て来た。不安いっぱいのままライプツィヒに向かい、お箸や森のくまさんと程良く飲む(バカ)。
 ゲヴァントハウスの団員とのシューマンの合わせは要所を押さえ妥協せず、発想豊か。
 メゾソプラノ歌手のA(フランス)とヴィオラのA(ロシア)とのブラームスは柔軟で情感豊か。どちらも楽しい時間だった。歌手のAは以前演奏会を開催した際にフランス語に堪能なHに大変助けてもらったそうで、今回歌うブラームスの歌曲はその時の想い出の曲という。

 演奏会はチェロ合奏によるポッパーのレクイエムで始まり、続いてHの奥様が出身国ルーマニアを代表する作曲家エネスコのヴァイオリン・ソナタ第3番の緩徐楽章を演奏した。静かで、内なる焔が燃え盛るようで、聴いていて様々な思いが呼び覚まされた。
 そこで私は舞台裏に移動したが前半最後に有志によるオーケストラがマーラー交響曲第5番から有名なアダージェットを演奏した。客席で聴いていた歌手のAが泣きながら出て来た。演奏を終えて舞台を降りて来た女性奏者達は抱き合って泣いていた。休憩後のシューマン、私達は葬送行進曲風の第2楽章ではなく、快活な第1楽章を演奏するが、一緒に演奏するヴァイオリンのKは、「これから弾くのが第1楽章で良かった。第2楽章ならきっと弾けなかったわ…。」と言った。

 演奏中はただ一所懸命弾きたかった。子供の発表会のような目標だがこの時はそうしたかった。Hと共に10年間演奏して来た弦楽器奏者達の演奏は響きが明るく整然として精力的で生前の彼を思わせた。
 ブラームスでは静かで深いAの歌唱と自由に漂うようなヴィオラとの間で一つ一つの音を出来る限り美しく響かせるよう心がけた。全ての瞬間を大切に出来た気がして満足だった。練習の時常により高い完成度を目指して要求の多かったHも良かったと言ってくれるかも知れない。
 顔を上げたら歌い終えたAの顔は涙で濡れていた。涙で覆われていたと言った方が相応しい程の涙だった。舞台袖で彼女は、「ごめんなさい。気持ちを抑えられなくなってしまったの。」と言ったが、君は見事に歌い切って僕は顔を上げるまで君が泣いていることに気が付かなかった、と伝えた。

 最後に演奏されたのは再びチェリスト全員によるクレンゲルの讃歌。祈りの旋律が折り重なって高められ神々しく天に昇って行くように終焉を迎えた。1分間静寂が続き誰一人身動きせず物音ひとつ立たなかった。崇高な祈りの時間だった。
 終演後Hのお母様に会えた。奥様とも話せた。私も言葉が無かった。ただHを愛し、愛された人達が幸せに生きることと、この日の演奏会によって我々のメッセージがHに届いたことを祈るばかりです。