笑う伴奏生活

ハンブルクから愉快な共演者達を御紹介します。

A,卒業す。

 2017年夏学期終了。本校舎改築の為2年半通った仮校舎とお別れです。殆ど寂しくありません。人生初手術で始まった今学期はいろんな人に労ってもらいながら早く過ぎ去った気がします。卒業演奏会で共演した学生は5人だけ。しかしその内2人が大バカ者!詳細は書きませんが過去12年間で1人もお目にかかった事の無いいい加減な学生と3日の内に2人も一緒に演奏するなんてッ!

 印象的な学生、A(オーボエ・ドイツ・女性)の話をしましょう。我が校の2人のオーボエの先生は大変仲が良く不定期に合同の内輪試演会(例外無く飲み会付き)をしています。どの位不定期かと言うと、Aが入学したのは2014年秋ですが、これから話す試演会は2015年春の事であったという位不定期です。
 「1週間後に試演会をしましょ!」という御触れがB先生から出て生徒さんがそれぞれ私に連絡をしてきます。電話やショートメッセージ、或いは玄関で待ち伏せて来週演奏したい曲目や練習日程についての相談をします。
 Aは私に何度も電話をくれていたのですが、知らない番号からの電話は取らないことにしています。留守番電話にもメッセージを残さないし、SMSもくれません。他の学生から、「Aがいくら電話してもちっっっとも繋がらないって慌てていたわよ。」と小耳に挟みました。
 数日後別なオーボエの学生と練習をする為に予約していた部屋に行くと、我々の前にその部屋で練習をしていたのは他ならぬAでした。私が入っていくと彼女は私をじっと見つめながら手を差し伸べ、「私はAです。私はあなたに何度も電話をしました・・・。」と言いました。そのまなこには、『数々の困難を乗り越えて今やっととっつかまえたわ・・・。』と書いてあるように思いました。そんな訳で楽譜をもらって練習の日程を決め、最初の試演会はつつがなく終了しました。
 しかしその後Aに謎の不調が訪れます。不定期内輪試演会にも顔を出さなくなりました。久しぶりにやって来たものの開始直後の技術的難所で小さなミスをすると悲しそうな眼差しをこちらに向けて吹き続けるのを辞めてしまいました。音色も綺麗だし音程も正確だし何故彼女が自信を失ったのか分かりません。
それでも卒業演奏会の期日は迫って来ます。彼女を指導するB先生も苦心の結果精神的な負担の軽い曲目を選びました。彼女を取り巻く人達が彼女の演奏会での平常心を願います。
 私は4曲中2曲のみ共演しましたが練習は良い雰囲気で行われました。演奏会を見据えて計画を建てているのが伺えました。
 後半に彼女はアウシュヴィッツ強制収容所で殺された作曲家ハースの組曲を演奏しました。技術的な見せ場は少ないものの複雑なリズム・繊細な和声・絶える事の無い緊張感などが全曲を貫く決して簡単ではない作品です。
 どの音にもどのように吹きたいという思いの込められた素晴らしい演奏でした。最後の長い強音を吹き終えた彼女は悲しそうな眼差しを私に向けました。でもそれはあの試演会の時のように演奏に対して不満だったのではなく、作品を表現し切った充実感が感じ取られました。続くハープとの作品も美しく吹き彼女は立派に卒業演奏会を終えました。
 2週間後の非公開の試験を終えて彼女は、「私達、きっとまた会えますよね・・・。」と握手を求めました。初めて会ったあの時と同じまなこでした。