笑う伴奏生活

ハンブルクから愉快な共演者達を御紹介します。

マイゼン先生追悼演奏会

 ミュンヘンに行って来た。

 ミュンヘンと言えば我が初欧州都市。ヴァイオリンのケイコサンとの2重奏でコンクールに参加したのが25年前。今までの人生の丁度中間地点だったことになる。欧州の扉を叩く機会をくれたのはケイコサンであった。
 また、大きな影響を受けたのがミュンヘン音楽大学での勤務を終えて日本に来られたのがフルートのパウル・マイゼン先生だった。東京芸術大学(以下芸大)の客員教授になられたのが私の初ミュンヘンの2年前だった。今思えば大変大変幸運なことにフルートの学生と共演する機会が多かったので良くレッスンにくっ付いていったら面白くて面白くて!!斬新な楽曲分析はバッハやモーツァルトがより身近になったような気がした。定期的に開催されるフルート科の勉強会にも弾く予定のない日までお邪魔した。
 翌年が神戸国際フルートコンクールであった。芸大や他の音楽大学からも予備審査に合格したフルーティストが参加して私も3人伴奏した。各国の参加者達が次々と素晴らしい演奏を聴かせ、国際コンクールならではの熱気にうるうるしながら観客席に入り浸る中マイゼン門下のヘンリック・ヴィーゼ(ドイツ)の演奏したドップラーの『ヴァラキアの歌』のあまりの迫力に圧倒され、このまま1日を終えたくなって後の参加者を聴くのを辞めて会場から出て来てしまった。


 先週ミュンヘンに行ったのはマイゼン先生の追悼演奏会を聴く為であった。亡くなったのは3年前だが長引くコロナ禍でやっと今開催することが出来た、と愛弟子の1人で師匠の後を継いでミュンヘン音楽大学の教授になったリーバークネヒト先生が開会のご挨拶をされた。
 プログラムはフルート・オーケストラを含む様々な様式・編成による楽しいもので、途中マイゼン先生の写真や演奏が挿入された他今日参加の叶わなかった嘗ての生徒さん達のビデオメッセージも流された。演奏者の中にはあの時神戸で聴いたフルーティスト達も多く、例のヴィーゼ氏も、マイゼン先生を追って芸大で1年一緒に学んだヴーカン君もいた。ヴーカン君は長身・痩身・小顔な上面白い人で当時の女性陣の人気が高かったが多少オヤジになっていた。22年ぶりに会ったので変わっていて当然だし私も彼以上に劣化しましたがね。
 幸せな雰囲気の溢れる演奏会でマイゼン先生のお人柄が偲ばれたが1番心に残ったのはやはりヴィーゼ氏だった。ラヴェルの『ダフニスとクロエ』フルート独奏部を吹いたのだが表現の幅の広さと全く乱れない音色と音程。26年前の我が感動は確かなものであったッ!
 終演後はマイゼン夫人とリーバークネヒト先生にお誘いを受けてブレーメン在住のフルート製作者兼フルーティストのワカメちゃん(日本)と共に打ち上げにも参加出来た。彼女も私も部外者だし後にも予定が有るからほんのちょっとだけ…と思ったのだが不思議と其々話し込む相手が2・3人ずついて予定より大分長く飲み食いしてしまいました。