笑う伴奏生活

ハンブルクから愉快な共演者達を御紹介します。

サラエヴォにて

 8月3日、快晴。32℃。日焼け止め買っちゃった。でも1週間前はもっともっと暑かったらしい。

 先ずはオリンピック・スタジアムを目指す。私が初めて熱中したのが1984年のサラエヴォ冬季オリンピックだった。イギリスのトービル&ディーンとソ連のベステミアノワ&ブキンを観てアイスダンスに興味を持った(今はルール改正でつまらなくなった)。そしてその10年後のリレハンメル五輪ではサラエヴォで初めて金メダルを獲ったドイツのカタリナ・ヴィットがサラエヴォに思いを馳せる演技で反戦を訴えた。そんな訳でサラエヴォには以前から来てみたかった。
 ホテルからは少々キツめの上り坂を20分以上歩いた市の北側にオリンピック施設は有った。スタジアムもアリーナも見学出来なかったがスタンド席入口に佇むと当時の歓声が聞こえて来るような気がした。

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 炎天下を旧市街に向けて歩き出すと直に夥しい白い墓標に埋め尽くされた墓地が現れた。紛争で亡くなった人々のお墓で、目に入った没年は殆どが1992年だった。気が付くと道路の反対側にも氷の野原のような墓地が広がっていた。死の8年前にはオリンピックを観た人達だろうか…。今私の前を歩いている老紳士はこの道をどんな気持ちで歩いているのだろうか…。


 河岸まで下りて来て日陰(真ッ昼間だったのでなかなかなかった)を渡り歩きながらラテン橋を目指した。オーストリア皇太子が殺害された場所で、歴史の授業でも『第1次世界大戦発祥の地』と習ったがいつの間にか100年以上前の出来事になっていた。

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 旧市街バシュチャルシャを軽く1周。広くはない通路の両側には土産物屋や飲食店がズラリと並び何となく浅草を思い出させた。

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 でもここは後で森のくまさん一家と間違いなくゆっくり見て回るから先ずはビール…ビール…。


 店主は名物おにーさんらしく近くのお店や向かいのホテルの従業員がフラッと来ては言葉を交わして行く。おにーさん自身もお店が1段落着いたら近くの店に挨拶に行く。

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サラエヴォのビール・サラエヴスコ。


 隣に座ったご夫婦はベルリンに20年住んだ後昨年コンスタンツに引っ越されたそう。春に初めて行って来たばかりのコンスタンツ。親しみが湧いた…と思ったらご主人の叔父様はなんとケルンの音楽大学で長年ヴィオラの教授だったそうで、更に親近感を感じた。奥様はサラエヴォのご出身で、
「1ヶ月前からサラエヴォに帰省しているんだけど長すぎました…毎日毎日昔の友人に会わないといけないの。」
と仰った。私は地元に帰ってもあまり友達が残っていないからちょっと羨ましかったけどね。

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 まだオリンピック記念館に行く時間がたっぷり有りました。記念館は階段をいっぱい(数え忘れた)上った所に在り自動的に僅かなオリンピック気分を味わえます。オリンピックとは何の関係も無さそうな可愛い洋館です。

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 受付には例によって商売っ気のかけらも無いダルそうなおねーさんが座っていました。実際にも宣伝は行き届いていないらしく観覧客は他に3人しかいませんでしたがお陰でゆっくり観られました。無敵を誇った東独女子スピードスケート選手達の映像や今は亡きスキージャンプの伝説的名選手フィンランドニッカネンの写真。芸術点で全ての審判が満点を点けたアイスダンスのイギリスのトービル&ディーンの写真や可愛くて好きだったマスコットのブチコ(閉会式で登場した4年後にカルガリー五輪のマスコットが不細工だったのでより印象に残った)。私がオリンピック好きになるきっかけとなった大会の記憶がここに…。

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 午後4時過ぎにラテン橋の袂にて森のくまさん一家(2匹の犬を含む)と合流。なんとくまさん長袖シャツ!僕には君が分からないと言うと、
「先週はもっともーっと暑かったよ。」だそう。彼らは4週間たっぷりと休暇を満喫中で、7月上旬からセルビアギリシャマケドニアアルバニアモンテネグロを経てサラエヴォに着いたところだった。この夏はハンブルクは20℃前後の日が3週間も続く超冷夏だったがポルトガルやトルコからは記録的な猛暑が報告されており、私が出発する1週間前はセルビアギリシャでも40℃近い日々だったとか。くまさんの長袖にも納得(するなッ!)すると同時に今日の暑さでも砂漠にオアシスを求めて彷徨うが如くビールに直行した私が先週ここに来ていたら熱中症間違いナシだと思ったのであります。
 夜はボスニア・ヘルツェゴビナ発祥の元祖チェバプチチを…。ピタパンに入っているのがオリジナルだとか。

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う、うまい…。ハンブルククロアチアレストランには悪いが段違いにうまい…。


 20種近いブランデーが店の売りでもあり、私も3種類頂いた。レモンのブランデーが気に入ったッ!


 くまさんの奥さん(フルート。さしずめ白い貝殻の小さなイヤリングを落としたお嬢さんといったところか)は2人のお子さんを連れてホテルへ。くまさんはビアホールでの2次会に意欲を燃やす。そして彼のお母様も、
「私も一緒に行ってもいい?」
と3人で広くて古風なビアホールへ。何百人も入れそうな大きな店内にウェイターの姿は1人しか見当たらない。くまさんは、
「お客さんが増えたらどうするんだろう。まあ混む時間帯にはもっと多くの人が働いているんだろうけどね。」
と不思議がったがお母様は、
「彼随分顔が長いわね。」
だそうで、2人共方向性は違えど優れた観察眼である。

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 かくしてサラエヴォの夜は更けて、くまさんとお母様はくまさん奥さんが寝入ってしまう前にホテルに戻りました。そうでないと部屋に入れなくなるそうです。私は昼間ッから飲んでいた(おまけにブランデー3種も)ので満足な酔い加減でサラエヴォの街を歩いて横切ってホテルに戻りました。

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 その道は内戦時には通行する者は誰彼構わず狙撃され、多くの人が亡くなった道。今は深夜まで活気に溢れていました。旧市街の入口には聖火が灯っていました。
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 明日はまた7時間バスに乗って再びザグレブへ。

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ホテルの窓からの眺め。