笑う伴奏生活

ハンブルクから愉快な共演者達を御紹介します。

三上明子先生を偲んで

 フルートの三上明子先生といえばあまりといえばあまりにストレートな毒舌の数々で1冊どころか3冊の本が出来そうな方で、レッスンにくっついて行く度に今日もまた面白発言が飛び出さないかと最も楽しみにしていた先生であった。
 決めの台詞を数点列挙すると、


「田舎のコンクールはこういう所が大切。はいっ!」
「でもピークの時だってそんなに上手くなかったからいいじゃないですか。」
「誰がこんなとこまで行きますかって。」
「そうなんですよねー、もう手の施しようがないんですよねー。」


 …これだけでは何の事だか分からないでしょうが全てを説明すると効果が10倍になると同時に長さも10倍になるのです。決め台詞に多くの事が集約されるのです。
 毒舌以外でも運転しながら、

「なんで!?なんで曲がれないの!?」

と標識にケチを付けた直後の信号待ちでいきなりハンドルから手を離して、
「あーっ!分かったッ!分かったッ!」
と手を叩きながら先程の標識を見直したりとご一緒していつも楽しい先生でした。
 ブダペストの国際コンクールで2003年と2013年の2度お会いしました。先生は勿論審査員。私は伴奏をしに。2003年には東京からやって来た参加者達と一緒に食事をした後私に、
「ちょっと伊藤君あれですよ私をホテルまで送ってって下さいよ。」と依頼(命令?)され、
「ね、やっぱり一応夜の女性の1人歩きですからねェ危険ですから!」
とお続けに。先生はあまり危険じゃないと思いますがなどと余計なことは言わずにホテルまでどちらかと言うとくっついて行き玄関前で引き続き30分立ち話。そして、
「じゃあね〜お休みなさ〜い!」
といつもながらの朗らかさでホテルの中へお消えになりました。
 2013年には休憩時ご挨拶に伺ったら(私が太ったので)分かって下さらなかった…。暫く話したのにまたふと言葉を切って、
「野、野笛さんよねェ?」
と念を押されました。あの時ばかりはちょっとショック。


 訃報はそれとは比べ物にならないくらい大ショック!7月に亡くなった金先生は何度も大病をされていたけれど三上先生にはいつでもお会い出来ると思っていたのに…。ハンブルクで勉強したお弟子さん(ハンブルクではサンタ先生に師事し、サンタ先生を招いての演奏会だった)との4年前の演奏会でお会いしたのが最後になった。あまりお話しは出来ず神妙な表情で2・3度頷きながらすれ違っただけだったが、あれは、
「良かったわよ〜!」
を意味していたに違いないと思い込み続けている。


 三上先生、暫くの間さようなら。いつかお会い出来る時に分かっていただけるように少しは痩せようと思います。