笑う伴奏生活

ハンブルクから愉快な共演者達を御紹介します。

ノヴィサドへ。

 7月21日。バスでセルビア第2の都市ノヴィサドを目指す。セルビアへは4年ぶり2度目。さあクーナを下ろしましょうさんの師匠であるサンタ先生に言わせると、「な〜んにも無い街じゃ〜ん。」だそうだがさあクーナを下ろしましょうさんはお勧め。「是非サンタが正しいかどうかご覧になって下さいッ!」ということで自分のまなこで確かめることにした。
 名も知れぬ小さな可愛い街を幾つか越えて上り下りの激しいワインの名所イロクを過ぎると国境審査で乗客は全員下車してパスポートコントロールである。今回結局5回もすることになったバス越境の第1弾だ。
 前回ハンガリーからセルビアに入った時はスシ詰め電車の中を警官のお2人はどうやって通り抜けたのだろうという状態だったが今年はずっとず〜っと楽。パスポートにスンナリとスタンプをもらって1人密かに微笑む。
 イロク市街地から国境までは坂道が多く距離があって歩道は無く、このルートでの徒歩越境は無理と思ったのに対し国境審査後僅か数百メートルでセルビア側最初の街バチュカパランカ(可愛い名前)が開けたのには驚いた。ドニ・ミホリャッツやヴィロヴィティツァもこれだけ近ければ楽だったのに(まぁ楽しかったから良いけど)…。セルビアに入るとレストランのテラス席のビールのパラソルがイェレンやラフなどセルビアビールの物に変わった。
 さほど遅れもせずノヴィサドに到着。アパートのオーナーが駅まで迎えに来てくれて部屋を見せてもらう。私が英語が分からなくてアホッとしていると、「ぼっぼく英語が下手でごめんなさあいっ!」と言うなんとも良い人。快適な滞在だった。
 アパートは市街地から徒歩僅かで、少々部屋でダラッとした後散歩に出てサンタ先生の美意識を疑う。

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広々とした市庁舎広場。


 セルビア料理を求めてオヤジ人形に誘われるがままレストランへ。オシイェクとの味の違いに興味があり魚のスープを。

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 ビールはセルビア南西部ザイェチャルの『ザイェチャルスコ』(なぜかセルビア及びボスニアヘルツェゴビナではグラスとビールの銘柄が一致しないことが多く、この日も『ラフ』のグラスに入って来た)。


 ノヴィサド2日目。先ずは明日のバスの切符を買う。英語を話さない窓口のおばさまはモドリチャ行きバスの出発時刻をムスッとした表情をひとつも変えず暗記で(その数10本以上!)スラスラと紙に書いて見せてくれたので、希望の発車時刻を丸で囲んでお金を払うと初めてニコッと微笑みながら切符を渡してくれた。

 続いて虫除けスプレーを買おうと薬局に行くとおばさまはやはり英語を話さなかった(語学運尽きたか!?)。お買い得コーナーのスプレーはどう見ても子供用。大人用は有りますかと訊いても彼女のセルビア語はひとつも分からない(当たり前だ)。諦めますさようなら〜と店を出ようとするとおばさまパワフルになりそこで座ってお待ちなさい(多分)!と言って同僚を呼んできた。「May I help you ?」と別のおばさまがやって来たので大人用虫除けスプレーは有りますかと訊くと少し大きめの子供用スプレーをこちらの方がマシですと持って来てくれた。以後旅行中これにお世話になることに。

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 丘の上のペトロヴァラディン要塞へ。暑いし疲れるし麓まで行って満足して帰ろ〜と思って近くまで行ったらやっぱり上まで登りたくなりヒイヒイ言いながら要塞一周して来ました。

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雲は今日だけのもの。

 

 どどーっと疲れて夕食はアパートの隣の中華料理店でお持ち帰りを。私が入店するとセルビア人の店員さんは直ぐに中国人の店主を呼んでくれたのだが、「私は日本人です…。」と言うと店主は苦笑いしながら回れ右をして厨房へ。アパートで美味しく頂きました。

 

 明日は初ボスニア・ヘルツェゴビナ。最初の目的地はモドリチャという小さな街。何故その街かというと…続きは次回。

 

 

 

 

 

 

オシイェク2019

 オシイェク着と同時に愛しのペンションに直行。宿のボス(女性)は、「去年も
いらしたわね!」と出迎えて下さり、部屋を案内する際にも、「部屋も去年と同じね!」と記憶力の良さを見せた。

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愛しの宿名物猫。


 愛しのレストラン『スラヴォンスカ・クチャ』は愛しのペンションから歩いて3分。待ち合わせ時間1分前に曲がり角でさあクーナを下ろしましょうさんと遭遇しお互いの時間的正確性に驚く。2日遅ければ夏季休業で閉まっているところだったが1年待ち望んだこの日ッとばかりに期待と空腹感いっぱいで入口をくぐると…


 だ〜れもいない。待っても呼んでもだ〜れも来ない。


 愛しくなければさっさと店を出て他を当たるところだかこの店の商売っ気の無さ(決して態度が悪い訳ではない)と美味しさを知っているので勝手に席に着いて気長に待つことにしたら、2分程度でお馴染みの無愛想で親切なおじさまが登場した。今年は初めて魚のグラーシュではなく牛のシチューと焼魚を頂くことに。やっぱり何を頼んでも美味しい〜(涙)。

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 スラヴォンスカ・クチャでは飲酒を控え目(のつもりが特産ワインが美味しくて結構飲んだ)にして生オシイェクビールの飲める『ルンダ』を目指す。去年ビール工場の声のデカいおにーさんが体を張って教えてくれた店だ。途中で地図を眺めていると若い男女が英語で、「何処を探していますか?」と訊いてきた。
 私の英語よりもさあクーナを下ろしましょうさんのクロアチア語の方が頼りになりそうだが先方が店を知らなければ難しい。私達も市内の通りの名前を熟知しているわけではない。物は試しとドイツ語を話しますかと訊くと女性の方が、「Oh mein Gott !」と。オーストリア人だった。お陰でルンダを楽々見つけていざ生ビールを注文する段になってビールの種類が良く分からない。するとなんとまたお店のおにーちゃんがドイツ語を話せたッ!このままいくと今回の旅行はドイツ語だけで済むんぢゃないか!?

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 翌早朝さあクーナを下ろしましょうさんは次なる目的地に向けて出発し私はもう1日オシイェクをふら〜とする。
 去年雨宿りした市場でTシャツを買うと2枚目を半額にしてくれた。
 スポーツバー『ハットトリック』におにーちゃんに挨拶に行ったらおねーちゃん勤務だったにも関わらず飲み過ぎた(バカ)。
 『スラヴォンスカ・クチャ』以外で良くお邪魔するイタリア料理店『ルスティカ』にてドイツ語のおじさまにのせられ食べ過ぎる(バカ)。
 少し腹をこなさねば寝られやしない!と散歩を決行。さあクーナを下ろしましょうさんに教えてもらった第2の生オシイェクビール店の前を通ると確かに立て看板にでかでかと、『ぜ〜んぶ生!!!』と書いてあるがもう1滴も無理(涙)。
 ハットトリックの前を通ると懐かしのおにーちゃんが空っぽの店内(テラスは満員)でサッカー観戦に熱中していたがもう1滴も無理(涙)。


 チェックアウトの際ボスにドーラさんはどうしましたか?と訊いてみた。ドーラさんはこのペンションで毎回お世話になっている若い女性スタッフである。するとボスは…
「後2週間で子供が生まれるのよ!先週末まで働いていたの。今度いらしたら子供も一緒よ!」
 おお目出度い!来年もオシイェクに来なきゃ!今度はハットトリックでの飲み過ぎとルスティカでの食べ過ぎに注意しなきゃ…。

電車越境。無駄に苦労。

 セクサールド〜モハーチ間は直線距離は近いのだが電車の接続は最悪で1度プダペストに戻れとかアプリ言われて腹が立った(バカ)。バス路線を検索しても上手く出て来ず、どうせ無理だろうと思いながらバスターミナルに行ってみたら殆ど毎時間有った…。しかも路線バス級の安さ!あっという間にモハーチに到着した。チェックイン時間よりも大分早くホテルに着いたがこれまたドイツ語の出来るご夫婦が入れてくれたッ!
  5年前にミニパニックで徒歩でクロアチアに入った時ハルカーニかモハーチどちらの街から決行するかを迷った。あの時はハルカーニを選んだので今回のモハーチ散策には無駄な感慨が…程良い僻地感が有りそのうちドナウ川に行き当たった。

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 夜はハンガリー内では反対の隅っこショプロン(ウィーンの近く)のビールのパラソルにふら〜と引き寄せられてビストロへ…ビール下さいと言ったらおねーさんがマジャール語で何やら尋ねるのだが分かるわけナシ。多分苦し紛れだろうがおねーさん、「Groß oder Klein ?」とドイツ語を。また助かったッ!ビールとシチューを頂いてマジャール語でさようなら(憶えるのに2年かかった)と言うと、「auf Wiedersehen !」と返してくれた。


 翌日が問題の国境越えの日である。忘れ難き5年前の初徒歩越境の数年後に復活(怒)したハンガリークロアチア直通列車を使うが、接続は極めて不便。モハーチ→ヴィラニイで2時間待ち。そこでやっとクロアチアのベリ・マナスティル行きの復刻電車に乗る。ベリ・マナスティルでも2時間待つので乗車時間はせいぜい総計1時間ちょっとなのにモハーチからオシイェクまでは凡そ5時間かかる。なんだかバカバカしい…。
 しかもどの路線もローカル過ぎ(モハーチ発なんて一両編成!)て各乗換駅までの切符しか買えない!

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 クーナを持ってないから国境駅のマジャールボリからどうやってクロアチアに入れば良いのだ?先ずはヴィラニイ駅でクロアチアまでの切符が買えるか試すことに。
 切符売り場のおばあさま、英語を話さず奥から若い女性助っ人を呼んで来た。
 やっぱり国内駅までしかダメだった…。
 2人揃って先ずはマジャールボリまで行ってそこでクロアチア行きの切符を買うことを、「ハンガリーフォリントでも買えるから(信じ難い)!」と強く勧め、今そこに停まっている列車に急いで乗って!と言われた。
 例えその電車に乗っても結局2時間待ち。こっこれは今年も歩きなさ〜いという思召しでは?と思って取り敢えずマジャールボリを目指すことに決めた。それどころか心の中では徒歩越境もほぼ決心していた。
 飛び乗った電車の中で女性の車掌さんにマジャールボリまで下さ〜いと言ったら…
「でもこの電車はマジャールボリには行きませんよ?」
 …!!!
 乗り間違えたッ!!!
 ぢゃっぢゃあ何処へ…?
「ペーチです。」
 !!!
 5年前の徒歩越境のスタート地点!!!


 忌まわしき記憶が蘇った。バス停のノーブスばあさまはご健在だろうか。車掌さんがペーチで凡そ30分待ってベリ・マナスティル行きの電車に乗る事を勧めて下さった。要するにヴィラニイで2時間待って乗る予定だった電車である。徒歩越境計画は僅か10分程度で敢え無く崩壊。
 良かったのはペーチはヴィラニイやマジャールボリよりもずっとず〜っと大きな街なのでハンガリーの通貨でクロアチアまでの切符が買えた事。電車での越境の為バス停のノーブスばあさまにはお目にかからなかった。
 マジャールボリで国境審査官が2人乗り込んで来てパスポートを見せる。2人はドイツ語を話さない人。ドイツのヴィザが何とドイツ語表記のみだったので有効とか無期限とかいう単語すら辞書で調べて許可をもらった。今回もハンガリー側の警官がクロアチア側よりも愉快そうな人達だった。すんなりと電車で国境を越えてクロアチアのベリ・マナスティルでさあクーナを下ろしましょうと1人呟いて(バカ)現地通貨を入手。これで生きていける…。
  クロアチア入国の日は私の中で伝統的に暑い日になるらしい。5年前のドニ・ミホリャッツもそうだった。一昨年のチャコヴェツも去年のテレツィノ・ポリエもそうだった。ベリ・マナスティルは幸いメインストリートが駅から近いので愛しのオシイェクビールの店を見つけてビール下さ〜いと言ったら、「ごめ〜ん今から昼休みなんだよね〜。」と言われた(涙)。いいもんダラダラ2時間過ごしてやるから!とフラフラしていたらあまりに暇そうに見えたのか現地の人に心配された(笑)。
 2時間後電車に乗り込みオシイェクにほぼ定時に到着。ドイツ鉄道は見習うべきだ。

チェスケー・ブディエヨヴィツェ→ウィーン→セクサールド

 次の滞在地はバドワイザーの街チェコチェコのチェスケー・ブディエヨヴィツェ(5年ぶり2度目)。前回は昼間っから飲みまくり夕食時には気分が悪くてあまり飲めなかった(バカ)ので今日は夕方まで我慢。愛しのレストランに行ったら前回のドイツ語ペラペラのおばさまがいなくて残念!と思ったら今回のおにーさんもペラペラだった。2種類のバドワイザーを楽しんで大満足。

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度数が高くなると把手が付くらしい。


 チェコ語で挨拶に挑戦したら通じなくてきっと悲しそうな顔をしたであろう私をおにーさんは、「でっでもチェコ語というのは一気に子音を3つとか発音しないといけないヒドい言語でっ…」と慰めて下さった。


 翌日はほぼ毎年の飲み地ウィーン。女神(フルート・ルーマニア)とクライマー(女神彼・オーストリア)に新しく出来たビアホールに連れて行ってもらう。女神が学校に携帯電話を忘れた為予定が直前まで決まらず前日にマチャさん(ピアノ・日本)を誘ったら、「伊藤さんいつも急過ぎますッ!」と怒られた。すみません…。


 ウィーンからオシイェクを目指すにはハンガリーを経由するのが便利。寄り道都市についてはプダペストに6年在住したケイコサン(ヴァイオリン・日本)に訊くのが1番!セクサールドって行く価値有る?と訊いたら、「ワインの街だから大有りでしょう!」と返信をもらって寄り道決定。この日だけはビールではなくワインの夜に。
 乗り換えをする度に電車がどんどん小規模になっていって乗降客ゼロの駅もちらほら。セクサールドはこの路線上では大きな駅だったが降車後は自分で線路を渡って駅舎方面へ。何処が出口だか分からずキョロキョロしていると降りる時隣でニコニコしていたにーちゃんが、「May I help you ?」と。市街地に行きたいんだけどと言うと、「あーそれはあまり簡単じゃないよ!ボクはこの街を良ーっく知ってるから教えてあげよう!」と言う。物は試しとドイツ語を話すか訊いてみると、「よくぞ訊いてくれました!ボクは10年近くオーストリアで働いてるんだ!セクサールドはボクの故郷だから夏休みで帰って来たのさっ!友達が車で来てるからホテルまで送って行くよ!」という話だった。
 駅前には確かに刈り上げ入れ墨タンクトップのお友達が待っていて豪快に再会を喜んでいる。この人達信用しても大丈夫だろうか…と4年前のスロヴァキアと似た状況に…でも後部座席を整理してスーツケースを持ってくれてさあ乗ってー!と言われれば乗るしかないでしょう…。
 ちゃ〜んとホテルまで送ってくれて荷物も持ってくれて別れ際にフェイスブック友達にまでなっちやった。疑ってすみませんでした…。
 フロントのおねーさんもドイツ語が出来たッ!今回はなかなかドイツ語運が良いぞ!
 夕食はホテルのレストランでとることにしてそれまで街を散策した。観光地では無いが教会前広場は雰囲気が有ってそこから駅へ下る道もきれいだった。

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 バスターミナルも可愛い。


 レストランではウェイターのおにーさんのお勧めとセクサールド代表的名産ワインの2つのうちの1つをこの街を勧めてくれたケイコサンにも感謝しながら頂いた。会計時に名産のもう1つの方を1本買いたいのですがと言うとおにーさんは、「ホテルのフロントでお求めになった方がお得ですよ。」と教えて下さった。なんて良い人なんだ…。
 翌朝チェックアウト時に昨日のドイツ語のおねーさんから1本買って次なる目的地モハーチを目指した。開けるのが楽しみです。

Max Reger Dunkel !!!

 夏休み前最後の演奏会の翌々日ソレッとばかりに旅行に出発。今年はどどーんと3週間(ちょっと長過ぎたかも…)。7月19日に今年もまたさあクーナを下ろしましょうさんとオシイェクで合流することが決まっており、基本的に列車移動の私は寄り道をいっぱいしたくて出発が早まるのです。


 今年の最初の滞在地はバイエルン州北部のヴァイデン。3年ぶり3度目。作曲家レーガーの青春の地ですが知り合いに教えてもらった「レーガー黒ビール」を今年こそ手に入れるのです!
 夏休みらしくライプツィヒからミュンヘン行きのローカル線が大混雑!ヴァイデンは大きな都市ではありませんから無事下車出来るかどうか心配でしたが、階段に誰かが立てかけた自転車(非常に迷惑)を他のお客さん達と共にスーツケースを持ち上げながら跨いでヒイヒイ言いながら降りました…。

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 買えると思ったレストランでレーガー黒ビールは有りますかと訊くとあっさり、「無いよ!」と言われました(涙)。が、お店のご主人が丁度ピザを買いに来ていた近くのバーの大将に、「お前の所レーガー黒置いてるか?」と質問。大将は、「わかんねえ。有るかも知れねえ。」ということで彼の店までくっついて行くことになった。道中いったいどうしてヴァイデンに?とかピアノはいいね!とか1度日本に行ったぞ!とか話しながら店に到着。ドアを開けて直ぐさまバイトっぽい女性にウチの店レーガー黒有るかと訊くと即座に、「有りません!」だそうです(涙)。でも大将、さっきのレストランのもう少し先が醸造所だからそこで明日の朝には買えるぞ!と教えてくれて、頑張れよと握手までしてもらいました。
 こりゃ行かなきゃ、と翌朝チェコへ移動する前にホテルからは決して近くない醸造所へ。しかしこれはただの工場…いったい入口何処?売店なんか有るの?去年さあクーナを下ろしましょうさんに連れて行ってもらったオシイェクの工場よりもさらに一般客向け度数が低い。
 立入禁止と書いていないドアが1つだけ有ったのでどう見ても事務所のそこで机の前に座っているおじさまにビールは何処で買えますかと訊くと、その質問が終わるか終わらないかのうちにすんなりと、「ここです。」と答えられた。でもこんな卸売市場みたいな所で瓶ビール2本だけとか言ったら顰蹙ではなかろうかと思い、「あっあのレーガー黒ビールを何本か欲しいだけなんです…。」と言うとおじさまはケースごとのビールを忙しく運びまくっているおにーさんを呼び止めて、「この方にビールを。」と紹介して下さった。おにーさんにくっついて倉庫に入ると、有りました!フレンドリーとは言えないレーガーの肖像画が貼り付けられた瓶が並んだケースが。おにーさんに、「何本ですか?」と訊かれ当初の予定よりも1本増やし、「さっ…さんぼんッ(ショボいショボ〜い感謝の印のつもり)!」と言うと快くケースから取り出してくれました。値段を訊くとおにーさん、「ん〜ん、ちょっと待って!あっちで訊くから。」と直々におじさまに訊いてくれたのですが…


「1.9ユーロです。」


 …へっ!?
 安過ぎない?
 あっあのっ1本ですか?それとも全部で?


 全部でだった…とすると1本あたり0.63333ユーロ。一体何故?何はともあれ念願のビールを遂に入手。会計中に既に仕事に戻っていたおにーさんにも大声でお礼を言って次なる目的地へ出発しました。

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レーガーって伊東四朗さんに似ていると思うんですが…。

 いろんな方に親切にして頂いたし是非とも良〜っく冷やしで飲まなきゃと思ったので、旅の最中にはなかなかチャンスが有りませんでした(訪問先が全てビールの名産地ばかりで宿に帰る時には既に酔っ払っているから)が、数日後とうとう飲んだレーガー黒ビールは滑らかで濃くほんのりと甘く、レーガーの後期の作品を思い起こさせました(遠い目)。今回ドナウ川にもお目にかかったし秋の演奏会ではレーガーの、『美しく青きドナウ』による即興曲でも弾いちゃおうかな〜といい加減に考えました。


 おっと、ヴァイデンだけで長くなってしまった。続きは次回。

ダフネの変身

 具合先生と歯だった先生のクラスの学内演奏会を経て夏学期最終日の7月12日、ダフネ(フルート・ドイツ)卒業演奏会。お陰で旅行に出るのが遅くなった(笑)。 ヴィオレッタと同じく2年生の時から一緒に弾いているが当時は音は綺麗(最も大切)なものの無意識に段々速くなるししょっちゅう数え間違えるし音も読み間違えるし全部自分で気付かないし先が思いやられると思った。
 3年次に交換留学の審査に合格して1年間リヨンの音楽院で勉強することになった。リヨンと言えばかなりの名門。1年間とはいえ彼女ついていけるかな…。ハンブルク生まれのハンブルク育ちの彼女は「1人暮らしというものが全く初めてなの。変身目指して頑張るわ!」と旅立っていった。


 1年後、帰国後初合わせ。数ヶ月前に私もリヨンに行った経験から、「リヨンはフランスには珍しくビールが美味しいでしょう?」と言うと、「その通り!美味しくて私ビールばかり飲んでいたわ。」と。1人暮らしは楽しんだようである。果たしてその成果は…
 音はより綺麗になったし速度は安定したしリズムは正確になったし譜読みも丁寧になったし強弱の幅も広がったし表現力も増した。1年でここまで変わるとは…ダフネの努力もさることながらリヨンの先生の指導力には感服した。
 数ヶ月後のジャイアン祭りでそのリヨンの先生と共演。マーラーの歌曲のフルート用編曲では歌詞が聞こえて来るよう。ベームの華麗なる変奏曲では、「第3変奏つまらないから飛ばそうよ!」と私も弾きたくなかった変奏を省略してくれて感謝。ジャズ風現代曲では日本語で、「スゴイネー!」と言ってくれた。フレンドリーで周りが良く見えていて、なるほど、彼がダフネを変えたのか、と深〜く納得。


 大学院の入試では最も強く希望したリヨンは惜しくも次点(そりゃあの先生の所には希望者が殺到するよ)だったそうだが他の人気の音大に軒並み合格!贅沢な悩みを抱えながら演奏会に挑んだ。
 なんと超満員で廊下にまで臨時の席を設ける事態に…会場内も暑くて奥の扉も開け放しての演奏になった。お陰で自分達の音が聞きづらくて集中が難しく、数えるのが極めて難しい最後の腹踊りっぽい曲では練習では何度も完璧だったのに本番で2・3ヶ所数え間違い。おおやっぱりダフネだったかとちょっと嬉しくなった(笑)。
 ヴィオレッタにしろダフネにしろ2年前とは比べ物にならない成長ぶり。ってことはもしやジャイアソって良い先生…?

ヴィオレッタの変身

 6月28日、フルートのヴィオレッタ(ハンガリー)の卒業演奏会。
 初めて共演したのは彼女が2年生の時だから3年近く前になるが、試験や演奏会が近づいても合わせというものを殆どしない人でこちらが心配になるほどだった。実際2年目の中間試験では暗譜がメロメロになり先生達の前で泣いた。頻繁に実家に帰り、入学後1年以内に受験すべきドイツ語の試験も何度も延期して退学寸前にまでなった。やる気が無いんだと思っていた。
 3年目に入って暫くしてドイツ語の試験に合格した頃から合わせて〜と頻繁に頼むようになり、練習後も愉快な会話をすることが増えた。そんなに頻繁に合わせする必要無いんじゃない?と言いたくなるほどであったが、あの熱心とは言い難かった彼女が折角やる気を出したんだし…とちゃーんといっぱい合わせをした。
 卒業試験前の1週間は演奏曲目を毎日通した。ただ通すだけだったがこれがいざ演奏会当日に生きた。以前は途中で息が上がってしまうことが多かったが当日はマイペースを保った。ムチンスキーのソナタでは少し緊張していたようだがバッハの途中から落ち着いてきて音色がどんどん綺麗になっていった。最後のタファネルでは今迄で1番の演奏をした。
 カーテンコールに私の手を強引に引っ張って連れて行った彼女は終演後故郷の名産品のトカイワインをくれた。