笑う伴奏生活

ハンブルクから愉快な共演者達を御紹介します。

懐かしき大学病院

 2月6日、大学病院のロビーにて歯だったクラスのネガティヴGちゃん(ソプラノ・リトアニア)・テレビスター(テノール・韓国)と演奏会。当初はネガティヴGの婚約者J(バス・リトアニア)も出演予定だったが肺炎で出演見合わせ。ネガティヴGのネガティヴ度数も急上昇する中での演奏会になった。

 ネガティヴGは元気と挨拶して普通に元気よ、と返って来ることが先ず無い。ある時は、「何故だか分からないけれどここ数日なかなか寝付けなくて…微熱も続いているんです…。」ある時は、「朝とても早く清掃車の音で目が覚めてしまってそれから眠れなくて…3時間位しか寝ていません…。」という感じ。

 テレビスターは留学前に韓国のクラシック番組で司会をしていたとか。まだ若いのだが豊かな声と安定した技術で今後が楽しみ。
 実はこの病院、私が3年前に盲腸の手術で緊急入院した時にお世話になった病院で、私は勝手に恩返し公演と思って密かに楽しみにしていた。2人の歌手も体調が万全ではなかったが当日には復調して無事に出演出来た。
 入院なんてもちろん良い想い出なわけはないが玄関に入ると何故か懐かしくてしみじみしてしまった…。係の女性に控室に案内して頂き色々説明を受けて契約書にサイン。会場が病院だけにネガティヴGは彼女からJの病気に対する助言をしてもらってネガティヴ度数が少し軽くなった模様。
 3階席までお客様がいっぱいの上今日は演奏者が其々自分の演奏曲目について解説しながら進行することになっており、ドイツ語が母国語ではない3人揃って余計な緊張を…。でも流石は歌手。声の通りも良く発音も綺麗でお客様は解説も演奏も楽しまれたようだった。ネガティヴGのレパートリーは声種から若〜い女性の役が多く、「次に私が歌うのは…また若い女性の役です…私の声だとこういう役が多いのですが…実際にもそうだと言っても…まだ…良いと思うので歌います。」といった具合。
 私も1曲先日のゴットシャルクの曲を1人で弾いた。ゴットシャルクは40歳で盲腸炎で亡くなっている。「実は私も3年前に盲腸の手術をしたんですねー。しかもこの大学病院で!お陰でゴットシャルクよりも長生きしています。」と言ったら何故かそこで拍手してもらった。


 数日後にはJも元気になったようでございます。

楽譜は練習から確実な物を使いましょう。

 2月4日、薔薇園(老人ホームの名前)にてカテリナ(フルート)とその妹サーシャ(ファゴット・共にウクライナ)と演奏会。フルート・ファゴット・ピアノできっと生誕250年記念にベートーヴェンのセレナーデでしょう!と思ったら姉妹でピアノ無しでベートーヴェンの2重奏曲を演奏し、代わりにメンデルスゾーンのピアノ3重奏曲の第1楽章を全員で。原曲はヴァイオリン・チェロ・ピアノ。ヴァイオリンの代わりにフルートでは演奏したことがあるけれど2人違うのは初めて…。管楽器の2人はそれぞれウェーバーハチャトゥリアンを選んだのでピアノソロ曲をどうすればバランスが取れるか悩んだ末、他のどの曲にも全然関係ないアメリカのゴットシャルクの小品を3曲弾くことにした。肖像画がオヤジっぽかったので思いもしなかったが実はゴットシャルクは40歳で亡くなっていた。やっぱりね…若いのにこんないい曲書くから…。
 演奏会は姉妹デュオのベートーヴェンで開始。ところが途中から何かがおかしい。私は曲を知らなかったけど2人揃って変な和音で終わったり平行5度でユニゾンになったり…お客様は気付いていないかも知れない(と言うより気付いていない事を祈る)がこれは明らかに何処かでズレたな…。
 涼しい顔で演奏会終了。帰りの電車の中で2人は、「ベートーヴェンは酷かった…練習の時と違う出版社の楽譜を使ったのが間違いだったわ…。」と反省。休符の書き方がどうやら違ったらしい。やはり演奏会では予期せぬ事が起こるから練習から気を引き締めて行わねばと再認識したのでした。

批評家殿。

 1月29日、具合先生クラス演奏会。
 ウチの学校行事には何人かの常連さんがいて、中には一癖も二癖も有りそうな人も。中でも有名なのは「買い物おばさん」。いつも両手に買い物袋を提げ、最前列の真ん中辺に座り、先生や演奏者が何かコメントするのを遮って全く関係無い質問を彼らにする(例:「何処の国から来たの?」)というちょっと迷惑な人。
 もう1人は「批評家」。やはり最前列の中央部に陣取り演奏者の目前でiPadにひっきりなしに何やら書き込んでいる。単純に感じ悪い。「貴方のオペラ評論家」と題したホームページに自宅で鑑賞したCDやDVD、聴きに行った演奏会の批評を載せていて、その数の膨大たるやこの人は一体どういう生活をしているのかと訝しく思う程である。我が校の行事にも足しげく通い(特に声楽とヴァイオリンが好きらしい)学生相手に手厳しい意見を述べているつもりらしいが多くが的外れ。更に間違った情報の多さ!糸を紡ぐグレートヒェンがシューマン作曲だったりパミーナ王女がメゾソプラノだったり…。語彙も少なく、「表情豊か」や「感銘を受けた」は1つの記事に5回も6回も現れる。
 でももっと滑稽なのは、そんな低級批評にも関わらずみんながそれを気にしている事!!!弁護士を通して訴えた学生もいた程。この日の学内演奏会ではベビーフェイス改めベビー(テノール・オランダ)がバッハのアリアを半音低い古楽音程で歌った為後奏で間違って近代音楽になってしまったらベビーが、「急に半音下げてとお願いしたので、間違ったのは僕の責任なんです!」と批評家に言おうとしたから慌てて止めたッ!学生がみんな一緒に弾きたくない伴奏おぢさんをも褒める人にどんなに貶されようと痛くも痒くもない。
 打ち上げではやっっっぱり批評家さんが話題になり、主題を変える事に尽力しました…。

モーツァルト・コンクール

 1月25日、校内モーツァルト声楽コンクール。例年伴奏を一手に引き受ける歌版おじさん(ロシア)が長期病欠中で、トゥットゥミアライト女(ブルガリア)の育児休暇の代行をしているJ(コロンビア)と私が公式ピアニストをする事に。このコンクール、参加料がかからない上申込締切がコンクール直前なので、毎年大量の棄権者が出るが今年はたった1人。Jの方がフレンドリーな為私は6人だけ共演した。
 昨年まではモーツァルトファンの聴衆の投票が大きく反映されていた為時にあってはならない結果が毎年のように生まれて来た。私も、「カウンターテノールって私好きじゃな〜い!」とか、「衣装が似合わないわ!」などの理不尽な意見を耳にした事がある。頑張って練習して思いっきり歌って、「衣装が似合わないわ。」ではあんまりである。
 事態を重く見た声楽教授陣が変革を試み今年は歌劇場や音楽事務所の職員も審査に加わることになり、フォルティシモ先生(オランダ)は、「今年は正しいコンクールになるよ。」と言われたそうで、それを聞いた彼の門下のYさん(日本)は、「それぢゃあ今までは正しくなかったのかあっ!?」と激しい疑問を抱いたそうである。
 私が一緒に弾いた6人は先ず具合先生の弟子のY(バリトン・中国)。トップバッターの為入賞の望みは極めて薄いが実力を見せた。
 普段歌版おじさんがピアノを弾いているフォルティシモ先生の生徒達はピアニストがいないまま数ヶ月が経過。何故か私が3人も共演することに。『声がキレイ』と人気のY(ソプラノ・日本)は体調が万全ではなく、「変な所でいっぱい息吸っちゃった…。」と残念そう。入試で上手過ぎて目立った1年生のG(テノールコソヴォ)は聴衆の支持が絶大!具合先生も、「素晴らしい!」と声をかけて、歯だった先生は、「私のクラスに来てくれないかしら…。」と呟いた。昨年蚊の鳴くような声でシューベルトを歌っていたT(バリトン・ドイツ)は格段に良くなっていて、パパゲーノのアリアでは演技力も光った。
 歯だった先生の2人の生徒は揃って病気。N(ソプラノ・ウクライナ)、「出だしのアンダンテをいつもより速くして…でないと今日は一息で歌えそうにないの…。」とかなり調子が悪そう。それでも朗らかな態度で立派に歌いきり、舞台裏に戻るや否や座り込んでしまった。もう1人のソプラノL(中国)も風邪で前日の演奏会を辞退したばかり。頑張って歌っていたが『魔笛』のアリアの最後で力尽きた…。
 Gが2位に、Nが3位に入賞し4月の入賞者演奏会に出演することに。歌版おじさんがまだ病気なので演奏会でも私とJが弾くことになりそう。ハリーポッター先生のお達しで、「ソロだけでなくアンサンブル、出来れば4重唱を含むプログラムが望ましい。」だそうだがNが言うには、「テノール2人とソプラノとメゾでどの4重唱をやれっていうの?」とのこと。

幸先悪し。

 2020年に入って先ずはフルート及びオーボエの皆様と仲良くせざるを得ない日々が過ぎて行きました。
 1月15日、ジャイアン出張リサイタル(郊外にてクラス演奏会)。みんな全然合わせもせずピアノと一緒にレッスンにも行かずリハーサルの時間を私に知らせもせずそれでもいざリハーサルに行ったら殆ど誰も来ていなかったりと開演前からやる気を失くす出来事満載。みんな走ったり数え間違えたり落ちたりメタャクチャなのにお客さんブラボー。ジャイアン大満足。
 同じくフルートの猫娘譜めくりをお願いして終演と同時に打ち上げを放棄して2人で飲みに。「私が教えている子供音楽学校と比較しちゃいけないって分かってるんだけど…」等のソフト毒舌が冴えやっと心が少し晴れた。


 1月21日、オーボエのZ(中国)卒業演奏会。演奏もドイツ語も2年半全く成長しなかった。この日もモーツァルトの4重奏曲を除けば過去の学内演奏会で既に吹いた曲ばかり。試験前の1ヶ月だけ少しは練習したのか今まででは1番マシな演奏(ヒンデミットは3回数え間違えたけど)をしたので優しい優しい先生達が甘々な点数をあげた。


 この地点ではみんな大満足(先生にとっても問題児がいなくなるし!)だとばかり思っていた…。


 ところが翌日の2クラス合同の学内演奏会の後でZがピアニストの彼女を従えて先生達に、
「昨日の卒業演奏会の点数が低過ぎる。僕はちゃんと間違えたないで吹いたのに何故最高点じゃないんですか!?」
と食ってかかった(通訳:彼女)。先生達は2人がかりで誠心誠意説得したが彼らは2人揃って膨れっ面をしてホールから飛び出し打ち上げにも不参加。落武者先生は、
「あ〜あ気分悪い!」
と嘆きB先生は、
「私が悪い先生なのかしら。だから生徒が上手くならないのよ。ウフフフ!」
と…。そして、
「2回目の非公開試験で最高点とればいいのよ。そしたら平均点上がるわよ!」とごもっともな意見を…。


 かくして2020年は幸先の良い出足とは言えませんが後11ヶ月頑張ります。

回想の北フランス(2)シュティの地へようこそ

 1月3日、「シュティの地へようこそ」の舞台ベルグへ。2日と3日はベルグに停車する電車が凄く減らされていて9時前の電車に乗って10時前に到着した。 普通ならテンションが下がりそうなガランとした駅前と旧市街入口に建つ古い城門を観て既にテンションが上がる。小雨がパラつく天気も思ったとおり。街の中心を示す標識に従って進むと次第に可愛い家や店が並び始め広場に出る前に既に躁状態。その内映画の中で地元郵便局員がカリヨンを叩き鳴らしていた鐘楼が見えてきたッ!

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 念願叶って暫くあほーっと眺めていると折しも10時を告げる鐘の音がッ!


 無意味にじ〜ん…。


 さあて後は散歩して昼食を食べてリールに戻るだけ。今日中にドイツのアーヘンに着きたいのであまり長居は出来ないが、小さな街なのでどう時間を潰すかが却って問題だと思った。ただ、電車が減らされていてベルグからは夕方にならないとリール行きの電車が出ない。路線バスでもう少し先の港町ダンケルクまで行って急行に乗りベルグを通過してリールに戻ることになるが路線バスはどのくらい有るのか…。1度駅前のバス停に戻って時刻表を確認するとほぼ40分おきに有ったので安心して散歩を始める。
 時間を持て余すのではと思っていた。確かに小さな街で同じ通り、同じ広場に3度も4度も行き着いたが毎回何故か新鮮だった。家鴨さん達の鳴き声が特別うるさかったり城壁の案内板が朽ちかけていたりゴミを棄てるご婦人が挨拶してくれたり華奢なジョギング少年が健脚を披露してくれたり白と黒の猫ちゃん達がカメラ目線を向けてくれたりレストランに「シュティの地へようこそ」の写真が掲げられていたり…何よりも家々の戸口や窓を飾るクリスマスの飾り付けが可愛かった。

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 あっという間に昼を過ぎ中央広場のブラッセリーへ。地ビールはその名も「シュティ」

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 フランスビールはあまり有名ではないが地方の小さな街で美味しいビールに出会う幸せ!付け合わせのパンは紙袋に入って来て名物のチーズソースのかかった鶏肉は流石フランスと思わせる味だった。

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 残念だったのは多くのお店が昼休みをとっていて名産品のチーズが買えなかったこと。また絶対行かねばなりません。


 去り難かったベルグからバスでダンケルクへ向かい鐘楼だけ観て電車でリールに戻りホテルで荷物を受け取って無事アーヘンに到着しました。アーヘンで食事した店は金の白鳥(Goldene Schwan)だと思ったら金の豚(Goldene Schwein)でした…。

回想の北フランス(1)

 年末年始旅行の目的地の中から北フランスについて少し詳しく。南フランスは南仏だから北フランス北仏になるんだろうか…やはり南に比べると馴染みが薄いらしい。
 世界遺産にも登録されているベルギー・フランスの鐘楼群を見た〜いと思い始めたのは数年前、機内にてフランスのコメディ映画「シュティの地へようこそ」を見てから。両国合わせて56もの鐘楼が登録されているそうで今回見られたのは僅かに5つ。完全制覇とは言わないまでももっともっと見たいし、その鐘の音も聴きたいです。
 先輩を訪ねて3日間滞在したベルギーのゲントから今年も元日に国境を越えて北フランス・ノール県の県庁所在地リールへ。フランス人に言わせるとリールや「シュティの地へようこそ」の舞台となった小さな町ベルグを含め北一帯は天気は悪いし寒いし暗いしあまり行きたくな〜い所らしい。
 …要するにドイツにおけるハンブルクみたいな所か。いいもん。ぜーんぶハンブルクで慣れてるから。方言が物凄く分かりづらいのも大きな特徴らしいけどどうせフランス語全然分からないし!
 というわけでリールに到着。噂通り雲に覆われた灰色の空からはポツポツと雨が降っているけれどそれはゲントだってそうだったし、フランスの人は南と比較するから北の気候がより悪く感じられるのではないだろうか。ってことはベルギーにはゲントよりも断然天気の良い地域が無いからゲントの天気の悪さが目立たないのだろうか…。
 今回ベルギーで訪れたアントワープ・ゲント・ブルージュが何れも観光客でごった返していて幾つかの名所は入場を諦めたのに対しリールではそのようなことはなく、落ち着いた雰囲気の街の素顔が楽しめそうな気がした。観光客が少ない分街中で飛び交うのはほぼフランス語のみで、滞在中ホテルと美術館と駅のおにーさん以外からは英語を殆ど聞かないことになる。
 リール美術館はフランスではルーブル美術館に次ぐ規模を持つそうで、お陰で常設展の入口が何処かなかなか分からなかった…。ゴヤの「娘達」と「老婆達」が有るというので楽しみに行ってみたら子供の頃から知っている名作の数々!ルーベンス、モネ、ロダンブールデル、ゴッホ、ルドン、シスレークールベドラクロワ…鑑賞に3時間半もかかってしまったのでベルグ行きは翌日に変更しました。因みにゴヤの「娘達」は修復中で観られなかったので「老婆達」で我慢しました(失礼な!)。
 リールはまた俳優フィリップ・ノワレの出身地でもあります。50年以上に亘る俳優生活の内に100本を超える映画に出演し2006年にパリで亡くなりました。映画史上に残る名作「ニュー・シネマ・パラダイス」の映写技師アルフレード役と言えばお分かりでしょう。私は未だ僅かに3本しか彼の出演作を観ていませんが何れも誠実な人柄が滲み出ているような演技が心に残っています。リールの町外れを歩いていたら彼の名を冠した「フィリップ・ノワレ劇場」を見つけました。その前に暫く立ち止まっているとアルフレードを演じた彼のお茶目で温かい眼差し(火事の場面でアルフレードは失明するので眼差しは前半だけですが)が思い出されました。これを機に「追想」や「地下鉄のザジ」など、彼の出演作をジャンジャン観ようと思います。
 ベルグについては次回にします。