笑う伴奏生活

ハンブルクから愉快な共演者達を御紹介します。

みんな変わっていない。変わったのは私だけ。

 懐かしの友人にいっぱい会った学期末であった…。


・トッポジージョ(ピアノ・台湾)
練習室が空くのを待っていた時フレンドリーに話しかけてくれたにーちゃん。7年位前にもハンブルクで会ったがそれにしても20年前と全ッッッ然変わっていない。しかもオヤジ体型にもなっていない。見習わねば…。
・ヨハン(ギター・ドイツ)
若者コンクールの州大会の審査員として母校へ!彼はオヤジ体型になるとすればこれからだが草食系笑顔と爆発的笑い声は現在であった。
・ケティ(ピアノ・ジョージア)
一緒に入学したピアニストで美人ケティとかクレオパトラとか勝手に呼んでいたが凡そ20年ぶりに会ってもやっぱり美人だった。ひさ〜びさだったので2人揃って一瞬見合って固まってから抱擁。彼女が言うには、
「そうかなって思ったんだけど…」
…太ったから自信が無かったと言うんでしょ。そうでしょうともそうでしょうとも!で君は変わらないねと言うと、
「その間増えたり減ったりを繰り返して今は元に戻ったとこ。」
だそうである。お嬢さんが若者コンクール声楽部門に参加していた。
・手に優しい(声楽・ドイツ)
卒業してまだ数年だから変わっていなくてもあまり驚かない。若者コンクールとは今年は関係ないが来年の審査を打診されたとか。ジャズの演奏会を聴きに来たそうだが相変わらず色々なジャンルに多くの友達がいる人だ。


 会った人達がみんなフレンドリーな人ばっかりで良かったッ!

録画いっぱい

 動画収録にいっぱい付き合った学期末であった…。

・アナ(ソプラノ・ブラジル)
育児休暇の1年間をハンブルクで有意義に過ごす。「年齢制限ギリギリで最後のチャンスなの!」とコンクール予備審査の為にアリアを3曲歌う。
・ハイ(クラリネット・中国)
ソリストコース最後の協奏曲の試験の為に録画。本来ならオーケストラの伴奏だがそれだと早くても来年以降になるそうで、「そんなに待てない!」とショボい練習室でピアノ伴奏で録画。オーケストラと共演する折角のチャンスなのに!間奏がメロメロで生きて行くのがイヤになった。
丸刈り娘(フルート・ドイツ)
或るアカデミーの入試の為にプロコフィエフソナタの第1楽章を録画。途中最高音5連発が全部決まることはまず無い。1回通したら問題の箇所は3回だけ当たったが他は上出来。「もう何回か撮って例の箇所が上手く行かなかったらその地点で辞めましょ。」と言って2回挑戦したがいずれも5連発とはいかず。「多分ムリだと思うわ。」と諦めて最初の動画を提出することにした。
・マリー(ソプラノ・フランス)
本校学部卒業後スイスにて大学院修了。「社会人1年生なの。」とハンブルクの室内歌劇場での公演に参加。折角だからとデモ動画を撮影したが私のモーツァルトがメロメロで生きて行くのがイヤになった。
・マティアスの彼女(メゾソプラノポーランド)
歌劇場に応募する為アリアと歌曲を数曲録画。ドイツ語を話さない人なのでマティアスにぜーんぶ通訳してもらったが彼が退出すると慌てて英会話に挑戦。やっぱり全然喋れず生きて行くのがイヤになった。でも演奏はばっちり。
・ホルンクラス
某有名オーケストラ・アカデミーの2次募集が発表されてみんな慌てて録画した。まるでホルンクラスの公式ピアニストになった気分。学生の国籍はメキシコ・ノルウェーハンガリー・イギリスと様々。
・J(ヴィオラ・韓国)
前回の学内演奏会を病欠した演奏も態度も良いJが講習会参加を希望して録画。ちょっと弾いては不満でまた初めからを何十回も繰り返すので生きて行くのがイヤになった。
・美しい若者(オーボエ・ドイツ)
こちらは対照的に3度通して吹いて終わり。彼の休憩中にスタジオで1人練習までさせてもらって助かったッ!

批評家殿再降臨

 2月21日は今学期最後の学内演奏会。具合先生(声楽・ドイツ)クラス。

 先生が優しいと演奏会で棄権者続出。でもJ(ソプラノ・ドイツ)とL(バリトン・フランス)はレッスンも殆ど隔週であそこが痛いここが痛いと休むので予想通り。入学したてで副科に追われるV(ソプラノ・ウクライナ)も不調で出演を見合わせたが今回はカメラマンに徹して学生達のステージ写真を撮ってくれた。
 A1・A2・Fの3人娘が卒業してJ(中国)とZ(シンガポール)2人のバリトンがやって来て男女比が接近した。見たところ男性陣のキャラはまだ弱々しいが。
 棄権者続出の為教育音楽科のJ(ソプラノ・ドイツ)がもう1曲歌えることに。しかもシャミナードの素敵ッ!な歌曲。棄権者には悪いがちょっと嬉しい。でもシャミナードはオカルトや霊媒に熱中した挙句無謀なダイエットが祟って晩年は左脚を切断せざるを得なかったんだそうで…。
 後特筆すべきはコロナ大流行以来批評家殿が再降臨遊ばしたことで…。自宅待機期間中に音楽大学への興味を失くしたものとばかり思っていたが久々に現れよった。2・3人のベテラン学生以外は自分の演奏の評をネット上で読むのは初めて。しかし人格が変わったのか以前より少々甘口な批評であった。でも相変わらず表現力の乏しい文章で殆どの学生が、「心を込めて」歌っていたらしい。が…、「そのセックスアピールで観客を魅了するはずだったLは残念ながら病気で欠場。」の1文に学生間で話題沸騰。やはり勘違い上から目線は健在なのであった。

 そして打ち上げにはカメラマンを務めたVと出演を見合わせたものの打ち上げには合流したラーメンを愛するJとでVがバイトをしていたレストランのラーメンがマズかった!という話で盛り上がりました。

不思議な学生の話

 2月16日、ドアマン先生(フルート)クラス学内演奏会。新入生が2人(内1人は日本から久々のフルーティスト!)で総勢5名。

 先生が精神安定剤のような人なのでクラス内にも特に問題児はおらず…みんな精神安定しすぎぢゃねェか?と思う程演奏会が近づいてものんびりしている。


 中でも合わせの回数が少ないのがJ1(韓国)。彼女はちょっと面白い存在で以前も演奏会直前のレッスンで1度一緒に弾いただけで後はピアノ 合わせを一切せずに本番に臨んだことがある。ちゃんと吹いたがちょっと心配した。
 今回はリズムのかなり複雑なムチンスキーのソナタの第1楽章を吹くのにやはり本番1週間前のレッスンまで連絡がない。ところが先生が病気になってその日は先生ナシで合わせをすることになった。
 今まで同様に直前まで合わせず直前に泣きを見た学生を何人も見て来たから、今日全然ダメだったら…と頭が痛い。
 ところが全く問題ナシ。しかも必死で数えているのではなくちゃ〜んとピアノ パートを理解している感じ。確かにちゃ〜んと準備が出来ていて不安もないならば何も頻繁に合わせに来る必要もない。
 しかしこういう学生には滅多にお目にかからない。友達に良く一緒に弾くピアニストがいるの?と訊いてみたら、
「いえ、いません。」
ぢゃあいっぱい動画を観ているの?と訊くと、
「動画は全然観ません。」
ときっぱり。彼女の物言いにはポリシーすら感じられた。昔サンタ先生のクラスに、
「僕はYouTubeを沢山聴きましたがみんなこうやって吹いていました。」
と言った馬鹿者がいたが、対極である。
 翌週演奏会前日のレッスンでドアマン先生が、
「ムチンスキーの第4楽章もやろうかと言ってるんだけど…。」
と言う。普段なら前日になってとんでもない!と却下するところだが彼女なら全く問題なく出来る気がしていきなりその場で合わせてみた。


 …やっぱり全然問題ナシ。


 翌日は両方ともばっちり。不思議な人だ。

なぜおじさんはそんなに忙しいのか?

 2月15日のロボット先生クラス学内演奏会では正式ピアニストであるところのおじ(ー)さん(ドイツ)が当然ながら大車輪の大活躍をするはずで私は予定に入れていなかった。何と言っても12月におじさん担当学生を全員伴奏したんだから(しかも難しい曲ばっかり)。

 と思ったら前回難曲でトリを飾ったY(台湾)から2週間前に連絡。
「直前のお願いで申し訳ないのですが演奏会でヒンデミットソナタを一緒に弾いていただけませんか?」
という。
 2週間前を『直前』という地点で某クラスよりも断然優れている。ヒンデミットは年末にG(同じく台湾)と録画したばかりだから問題ない。何よりYとの前回の共演は楽しかった。
 引き受ける気満々だったが一応確認を…。
「Fさん(おじさんの本名)は出来ないの?」
すると答えは、
「Fさんは2月6日まで時間が取れないそうで、ヒンデミットには時間が不十分だとB先生が判断したのです。」
とのことだった。理由も筋が通っているしロボット先生たっての希望とあらば引き受けねば!しかしおじさんが何故そんなに忙しいのかは謎。


 という訳でヒンデミットだけ参加することにした。


 本番2日前の試演会におじさんが指定した時間に会場に行ったら、
「こんな直前になって全然弾けてないなんて。」
と舞台の端に座って両手をポケットに突っ込んだまま相変わらず小声で早口(だから何を言ってるか分からない)で説教している。あんたが直前まで時間無いって言ったのも原因の1つだと思うけどね。
 そして当日Yはまたトリだったので時間を計算してそろそろ出番かな〜と思って会場に様子を見に行ったらロボット先生が廊下で携帯電話を持ったまま私を発見し、
「いたいたッ!」
と。エッもう出番!?急いで着替えて来ます〜と言うとそのままでいいから弾いて〜!と言われ私服のままで弾いた…。おじさんがウダウダ言っていた学生はどうやら弾かなかったらしい。


 今回もYは素晴らしく演奏した。いっつも私と一緒に弾いても良いんですよ?

旧友の死

 先月、調律師の友人Iさんが亡くなった。まだ60歳位。30年前から知っている人。初めてお会いした時私はまだ大学生だった。3年前から闘病していたそうで一昨年退院して仕事に復帰したと聞いた時には良かったッ!良かったッ!一安心ッ!と思ったがそんな簡単な病気ではなかったらしい。結局最後に会えたのはコロナ禍前の2019年夏。

 酒に強い美食家で良くホームパーティーにお邪魔した。すき焼きやら上海蟹やら良く毎回味音痴の私に高級品を振る舞ってくれたものだ。中でも覚えているのは彼の地元山口から取り寄せた河豚のパーティー。酒にもこだわる人で毎回本当に贅沢をさせていただいた。
 「自分で調律出来た方が節約も出来ていいと思わない?」
と調律法も少し教わったが私には才能と根性が無く上達しなかった。但しドイツ留学へ出発する前日に切れた弦を13本自分で張った(そうなるまで放っておくなッ!!!)のはIさんの指導のお陰である。


 大学卒業を目前に控えた頃仲の良かった2人の先輩とIさんが函館近郊にスキーをしにやって来た。私達は当時両親が祖母の家の近くに所有していた第2の家を拠点に楽しい時を過ごすはずだった。
 だが先輩の1人が錯乱状態に陥った。その時まで私達は誰も知らなかったが留学先での恐しい経験から精神が不安定になっていたそうだ。知識も経験も無い私達は必死の日々を過ごした。喧嘩したり泣いたりしながら、それでもお互いを気遣って。あの時兄貴分のIさんがいなかったらどうなっていたことか…。
 私以外の3人は予定を切り上げて東京に戻ったので、数日遅れてスキーに挑戦しに函館に到着した声楽のOさんは辛うじて駅で彼等の出発を見送っただけだった。その後の函館滞在でOさんが私の沈み切った心を随分助けてくれたことには幾ら感謝しても足りない。


 あれから28年。Iさん以外の3人とは今では大分疎遠になってしまったが、いつかまた集まることが出来たら、とずっとずーっと思っていた。それがもう叶わなくなってしまったのがとても残念である。


 Iさん、さようなら。もう少しピアノ頑張ります。それからもう少し欲張って美味しいもの食べます。


合掌

オーボエクラス、また秘書を失う。

 2月8日、オーボエのベテラン学生W(台湾)が大学院の修了演奏を行った。

 7年前に入学して最初の試演会で、
「R先生をご存知ですか?私は彼に副科ピアノを習いました。」
と私に訊いた。Rといえば…トッポジージョ!私と同じ頃にハンブルクで勉強していたヤツだ。彼も立派になって(オヤジ的感慨。彼の方が1つ年上だけど)…。
 ドイツに来たと思ったら直ぐ彼氏が出来て、お陰で最初ッからドイツ語が上手だった。
 でもオーボエは最初の3年あまり劇的な進歩が見られず誉め殺し先生も悩ましげだったが4年目に待ちに待った急激な進歩がやって来て(1年前のことを思うと殆ど)奇跡の大学院合格。この2年更に上達してオーケストラの入団試験でも度々1次審査に通るまでになった。
 それと同時に性格もフレンドリーになりユーモアのセンスも向上。特にオーボエの両教授の忘れっぽさについての会話は楽しかった。3年前に長年秘書を務めたSとFが相次いで卒業した後は昨年卒業した料理長Lと秘書の座を受け継いでいたので両教授のエピソードには事欠かないのである。
 演奏会では室内楽作品を多く取り入れたので私が共演したのはパスクリの『ポリウト幻想曲』だけ。大変な難曲だが相当の努力を傾け合わせも頻繁にしたので落ち着いて本番を迎えた模様。1度しか合わせをしないで何回も数え間違ったのに本人も先生も大満足で最高点をもらう学生とは対極だ。
 他の曲も熟考を重ねて完成品を発表する姿勢は立派だった。彼女は引き続きソリストコースで勉強することを望んでいるらしい。3年前なら及びでないと一蹴されたであろうがここ数年の急成長を考えればもしかすると…。


 そして来独直後から付き合っていた彼氏とは数ヶ月前に別れていたことが判明。誉め殺し先生は、

「彼女にとってはその方が良かったわよ。」

と言ったとさ。

 そして彼女が他の都市で勉強するならば次期秘書には誰が就任すべきであろうか…。