笑う伴奏生活

ハンブルクから愉快な共演者達を御紹介します。

イワオさん引退

 或る土曜日、初顔合わせのソプラノのS(ドイツ)と学校のホールで動画撮影の予定が、なんと守衛がいないので部屋が使えない!Sは慌てて別校舎の部屋を予約し2人でそちらへ移動したものの、やはり音響が良くなく今日の不運を恨む。一体誰の職務怠慢じゃ!?と思ったら予想通り通常週末勤務の大ベテランのイワオさん(ドイツ)だった。


 イワオさん(あだ名は外見の印象から)はもう何十年勤めているか分からないほどで、数年前に若者コンクールでチェロの女の子の伴奏をした時に、ウチの学校の卒業生でもあるお母様が、
「私が学生だった頃にはもういたのよ。」
と仰っていた。
 彼の日常は不明で、一説には詩人という噂もあった。以前週末の閉校時刻が早かった頃には、
「陽は沈み、鳥達は唄うのを辞めた。さあ我々も家に帰ろう。」
といった彼のアナウンスが入った(毎回違うから楽しみだった)。


 兎に角無愛想な人で新入生はみんな彼を苦手とした。フルートの女神(ルーマニア)は、
「あたし何か悪いことしましたか!?」
と聞いたし、今やベルリン芸術大学教授のピアノのB(ドイツ)は憤りのあまりコーヒーをぶっかけたという。
 でも練習室の鍵は欲しい。ひたすら低姿勢で接していたら次第に一言冗談を言いながら鍵を渡してくれるようになった。
 10年くらい前の初夏唐突に、
「夏は日本に帰るのか?」
と聞かれた。実はプラモデルが趣味で、日本でしか買えない模型船を買って来て欲しいと言うのだ。
「水面下部分が有るのが大切なんだ。」
と専門的な注文が。私は見つけられなかったがオーボエのD君にお願いして買って来てもらった。
 そしたらなんと!或る日仕事の後に学校近くのレストランでビールをご馳走してくれた。テラス席に座った私達を下校する学生が不思議な顔で眺めて通り過ぎるのが恥ずかしいような楽しいような…後日注文の品を首尾良くイワオさんに届けたD君も以後仲良くなり、練習室の鍵も手に入り易くなったとか(ホントはいけませんが)。
 その後クラリネットのKさんが日本への一時帰国を前にイワオさんに、
「何か日本から持って来る物はありますか?」
と聞いたそうです。何も所望はしなかったらしいですが以後イワオさんはKさんに対しても少しフレンドリーになったようです。要は実はユーモラスな人だったのです。
 
 我が校の生き字引的存在だったイワオさんですが、かなりの高齢で職務に支障が出て来たようでとうとう引退されました。お疲れ様でした!