笑う伴奏生活

ハンブルクから愉快な共演者達を御紹介します。

マズルカの夕べ

 只今一時帰国中です。最初の目的は師匠が講師を務めるオンライン勉強会の修了演奏会でマズルカを1曲(2分半)弾くことです。

 先生は指導歴が長く上は70歳から下は20歳までのピアニストが1人1曲ずつマズルカを弾きます。素晴らしいピアニストばかりで恥ずかしい演奏をすると目立ってしまいます。
 私が希望したのは作品33第3番。この曲は私が最初に好きになったマズルカです。
 1985年のショパン・コンクールはNHKで特集されました。ブーニンが1位を得た時であの時出場していた何人かのピアニストと後に直接会う事が出来たのは私にとっては事件と言って良いでしょう。
 三村さんには函館に来られた際にゴダールエチュードの楽譜を進呈して困らせました。ルイサダさんは函館での演奏会の途中で照明が落ちてしまいましたがサインを頂いた時には悪びれず笑顔を見せて下さいました(後で聞いたところではやはり腹を立てていたそうです)。小山さんとは1度音楽祭でご一緒しました。思った通り楽しくで可愛い方でした。ヤブウォンスキーさんのリサイタルも素晴らしかったしお辞儀が可愛らしかったです。


 第3予選で姿を消したフランスのキリアンというピアニストがマズルカ作品33の3を弾いていました。たった10秒位しか映りませんでしたが軽やかで繊細で楽しく、良い曲だと子供心に感じました。そして10秒しか聴いていないのに彼が本選に進めなかったことがとても残念でした。


 ドイツに来て数年後、フランスの小さな街(ワインの名所)のトランペットのコンクールで学生を2人伴奏しに行ったら…!


『公式ピアニスト:フランソワ・キリアン』


…なんですって〜!?あのマズルカの人だ〜!!


 あのコンクールから20年が経っていました。キリアン氏の顔からは口髭が消え髪は随分長くなっていました。でもメチャクチャ綺麗な音!知らない参加者でも彼が弾く時は何度も聞きに行きました。
 私が1人目の演奏を終えて舞台袖に下がると次の出番を待っていたキリアン氏が、
「良かったですよ!」
と言ってくれた。


 むひょ〜ブーニンに言われるより嬉しいかも〜!!!


 幸運にもキリアン氏はドイツ語も話すのでまたいつかお会いするかも知れませんねと言ってお別れをした。


 …という訳で38年前から憧れのマズルカ。今まで2回弾いたが自分で聴いてもつまらない演奏しか出来なかった。今回の演奏会では出演者各自が弾きたい曲を第3希望まで提出出来たので勿論第1希望にこの作品33の3を書いた。
 第1希望が通ったッ!今度こそ楽しく弾かねばッ!


 たった2分半の曲を長い期間をかけて練習してもちっとも面白く弾けない。もしやこの曲は全マズルカの中でも1番難しいのでは(他の曲が当たったらその曲を1番難しいと思うであろう)?と焦り始める。
 この曲は繰り返しが多いのでここは誰が踊っているのか、何人で踊っているのか、踊り手の感情は?疲れているのか?などと色々と考え始めた。演奏会の1週間位前になってやっとアイディアが湧いて来て楽しく弾けるようになって来た。


 それでもゲネプロを聴いていると自分が1番勉強不足に思えて来る。流石どの人も1球入魂の密度の濃い演奏が続く。ゲネプロでは久々にかなり上がって非常に悪い出来だった。まあ、ソロの機会も少ないし仕方ないか〜とは思うもののちょっとショック。
 控室に戻って今日のプログラムを眺めた。先生のご挨拶の最後に、
「一晩演奏するより、一曲だけ演奏する方が案外緊張するものです。」
という1文を見つけ何故か安心した。


 出番まで懐かしの皆さんと会話をするうちに少しずつ落ち着いて来て本番では最後の音が殆ど出なかった他はゲネプロよりはマシに弾けた。憧れマズルカ、3回目にしてやっと少し楽しく弾けた。
 それにしてもキリアン氏はあの時27歳…今の私の半分くらい…恐ろしい素晴らしい。


 自分の演奏が終わったら第3部を客席にて満喫。どの人を取っても豊かな表現力で全てのマズルカが好きになりそうだった。
 という訳で1時帰国最初の目的は大変有意義に達せられました。でも1曲だけでもあんなに頭を悩ますんだから4曲セットで既に無理。ましてや全曲1人なんて絶対不可能。やはり怖いもの知らず(言い換えればバカ)な年齢は残念ながら通り越してしまったようです。


 あれからキリアン氏とは再会出来ていませんが最近見つけた彼のルーセルとデュティーユの録音は相変わらずのきめの細かさ・美しさで愛聴盤の1つになっております。