笑う伴奏生活

ハンブルクから愉快な共演者達を御紹介します。

永訣

 トランペットのLから何度も電話があった。彼はチェロのHの親友だ。きっと彼の計画している秋の演奏会についてだろう。それにしてはやけに頻繁にかかっている。まるで急いでいるようだ。
 帰宅してやっと彼に電話をかける事が出来た。ごく普通の挨拶を終えた後、彼は尋ねた。「今、立っているか、座っているか?」と。
 普段からユーモア溢れる人なので何か楽しい事を言い始めるのかと思って、「座ってるよ。」と答えた。すると彼は、「それならまだいい。これからひどい知らせをしないといけない。」と言った。
「Hが昨日自転車でチェコを旅行していたんだ。そこで事故に遭った。大きな事故で彼は残念ながら生き延びる事が出来なかった。」
 私の得意の聞き間違いである事を祈りながら訊き返した。「Hは死んだってこと?」
 Lは落ち着いて言った。「Hは死んだ。」

 Hとは同時期にハンブルク音楽大学で勉強した。彼の卒業演奏会でも一緒に弾いたし、卒業後も色々な街で共演した。彼の二つの卒業試験の丁度中間の日に彼のお父さんが亡くなったと知らせを受けた時も一緒にいた。私の気持ちが最も消極的だった時期にも何度も助けてもらった。
 彼のお陰でげケヴァントハウスの団員とも知り合ったり共演したり出来た。私を何度も大きな舞台に引っ張り出してくれた。

 昨夏に奥さんの故郷フランスのナントの結婚式に行った。快晴の下白ワインを飲む参加者達は皆、彼らと同様に幸せそうだった。今年三月のレーガー没後百周年に因んだ演奏会の為の練習で会った時に、「子供が出来たんだ!」と報告してくれた。おめでとうを言い、お子さんの誕生が楽しみになった。

 女の子が来月生まれる。彼女はお父さんを見る事がもう出来ない。
 昨日お葬式に参列した。結婚式から一年も経たないのに・・・あの時もいたであろう多くの人がやって来て会場に入りきらない程だった。彼と同年代と思われる女性の友人たちは式が始まる前からずっと涙を流していた。奥さんは気丈で、いつものように美しかった。でも言葉をかける事が出来なかった。

 式では不思議と冷静でいる事が出来たがその日私はライプツィヒに泊まった。待ち合わせをした中央駅や、サッカーの試合を寒い中テラス席で見たレストランを懐かしみながら散歩している内に色々な感情が沸き上がって来た。

 ヘンドリック、一緒に過ごした時間に感謝します。珍しい作曲家と、ビールと、旅と、スポーツと、ユーモアの良き理解者で、怠け者の私に嫌でも熱心に練習しなければいけない状況を何度となくくれた貴方は、間違いなく私の大切な大切な友達です。でも貴方は父親として最悪です。貴方が望むならお嬢さんの成長を事有る毎に見守り、天国に報告したいと思います。

 安らかに・・・