笑う伴奏生活

ハンブルクから愉快な共演者達を御紹介します。

2016年の最後に。

 7月に事故で亡くなったHの足跡を辿って来た。お葬式では参列者が多くて会場内に入れずお墓にも行けなかったので、ちゃんとお別れを出来なかった気がしていた。
 最初に向かったのはツィッタウ。チェコポーランドと国境を接する街で、Hはここを拠点にチェコを目指したという。チェコに隣接するだけにビールに期待したが、あまり良くなかった…。

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 翌日、市広場からポーランドへ2016年唯一の徒歩越境。ショボかった…。

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 チェコのリベレツへ。Hが立ち寄ったかどうか定かではないが国境付近では最も大きな街(チェコで6番目の人口)なので行ってみた。結構な雨風に冷え切って美しい市庁舎に着いた。

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 付属レストランでこの地域のビール!

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 また一つ美味しいチェコビールにお目にかかり、Hが最後に飲んだのはツィッタウでではなくここであった事を祈った。

 明日の午前中にイェナでお墓参りをして夜にはハンブルクにいなければいけない。とすると今日の宿泊はドレスデンが一番便利だ。3月にHと一緒に演奏して別れた街だ。歌劇場の楽屋口を通ると丁度終演時刻で、団員達で賑わっていた。

 早起きしてイェナへ。駅を降りて雨の中を見当違いの方向に歩き出す。5分程で気付き正しい方向へ転換すると雨が突然止んだ。Hが私の方向音痴を嘆いているかのように思えた。
 霊園に着いて管理局でお墓の場所を尋ねる。広い霊園で、お葬式の際にはお墓まで行けなかったので場所を知らなかったのだ。年末なので開いているか心配だったが、係の方が座っておられた。お墓の場所を教えて欲しいと言うと、
「お名前は?」と訊かれた。
「私のですか?」と言うと、
「違いますッ!亡くなられた方のですッ!」と。また大ボケを…。
 丁寧に教えて頂いた通りに駐車場を通って変わった階段を登って全霊園の丁度中程に目標のお墓を見つけた。12年前に亡くなられたお父様の墓石の傍に、彼の名前の入った新しい小さな墓碑が。それは彼の人生に対して贈られたトロフィーのように見えた。
 イェーファーのビールとリベレツで買って来たビールをお墓の前に並べて、傍に屈んで墓碑に手を掛けた。こうすればHと話せると思ったから。その後、お墓の前に立って目を閉じ、お葬式の時に出来なかった挨拶をした。いっぱい、いっぱいありがとう、と。
 目を開けたら涙が出て来た。拭いても後から後から流れて来た。彼がいつも言ったように日本語で、「マタネ~!」と言って立ち去ろうとしたが、たった3音なのに3回とも最後まで発音することが出来なかった。
 帰りには2度一緒に演奏した市庁舎を偶然見つけ、何度か迎えに来てもらった駅からハンブルク行きの列車に乗った。
 半年が過ぎたが未だ信じられない。Hにもう会えないなんて。